(2008年6月28日に書かれたブログの文章です。)
1.神話になった2008年ろうそくデモ '朝露談話'に続く'告示強行'は2008年大韓民国ろうそくデモの第2段階を開いた。しかしそれと同時に'ろうそくデモ'は'現実(reality)'ではなく'神話(myth)'になってしまった。もうこれ以上1段階での'クール(cool)'で面白く魅力のある民衆デモの理想を取り返せなくなったからだ。イミョンバク大統領の取った'子供をなだめるレベルの欺瞞策'は成熟した市民達から予測範囲以上の激烈な失望と怒りを引き出した。そしてこの自制できなかった裏切り感はそのまま'行動'に変換されたが、残念なことにこれは'昔からそうであった方式'、つまり公権力との極端な物理衝突へと至ってしまった。しかし実のところ、私達はわざわざこのような'汚い戦争'をしなくてもよかった。より痛烈な諧謔と風刺で権威を否定し、より効果的な打撃を与えられる新しい戦場を見つけて行って神話'を続けていくこともできた。いったい誰がこんな'彼らのための古い戦場'に私達を導いたのか?そして私達はなぜ彼らを追い死地へと入り込んだのか?もしかして元々ろうそくデモはこうなるしかない運命だったのか? 2008年大韓民国ろうそくデモは初期にその手段で全世界的に由来のない21世紀的民衆運動の始まりを見せてくれた。しかし様相は20世紀末の性格をそのまま維持した。大規模集会を行って'勢'を誇示し、警察力と対峙しつつ執権勢力に人数で圧力を加えることの話だ。そうしていると死守隊であれ警察力であれ必ずどちらかは血を流して怪我をした。(既得権と対抗勢力は彼らの血と汗を自分達の好みに合わせて脚色し広めてきた。'暴徒たちのデモ'、'公権力の暴挙'という単語で今も続けて再生産されている。) 同様に、デモの大勢をなす参加群衆も金銭的であれ、肉体的であれ必ず大きい犠牲を払う。従ってデモは参加者に失うものがないか失うことを恐れない以上、その'勢'が減ることになる。失うもののない人々のデモは激烈だが、残るのは何もない。反面、守りたい更に重要な価値があり、他のものを失うことを恐れない勇敢な人々がデモをより価値のあるものにし、明るく輝かせる。しかしこんな人は'少数'だ。従っていつでもいなくなることがあり得る、有動的な'殆どの群衆'をどう導くかが大規模デモ隊の助成及び維持の要になる。 大規模デモの'勢'を維持するには犠牲を出来るだけ抑えつつ、効果は極大化しなくてはならない。私は前に書いた力強く長持ちするろうそくデモで脱近代-非対称的な戦略、戦術の比重を高めることを主張しつつ、狂牛病対策会議が主導する近代的デモに変化を促した。目に見える規模ではなく、散っていても強い力を発揮する姿を要求した。私達は次期総選挙、大統領選挙まで戦っていかねばならず、決して、2008年を忘れても、弱くなってもいけないからだった。 しかし在来左派運動家達と知識人達は彼らがそうしてきた20世紀的論理でデモを裁断し、勢を導いた。対策会議が出帆して群衆を導き、最近は歴戦の勇者達(訳注:独裁政権時代に大学生連合だった人)が帰ってきて戦闘警察の阻止線を突破する。このような物理的デモは限界がある。勝利しても、双方が怪我をしすぎるし、敵対感はさらに深くなる。このままでは成功(?)をするとしても失うもののほうが多くなる。次期にどこが執権するとしても、国民統合は更に遠くなる。 しかし昔独裁政権に対抗した先輩達の意思を継ぐ左派運動家達には他の手がない。いや、そういう生まれなために他のことを考えられないのか…いや、そもそもしようとも思わないようだ。考えたことといえば80-90年代の大学街の文化を再演しては'文化祭'と名付けたことぐらいしかない。彼らがデモに参加した大多数の群衆をこんな方向に導いたために、歴史は彼ら'時代遅れの'左派活動家と知識人たちの'終末'として08年ろうそくデモを記録しそうだ。左派知識人たちは'民衆の自発的な蜂起'だといって'オナニー'をしているだけで、ろうそくデモの高次元的な変身を提示し、導くことがない。デモ隊と戦闘警察が流す血は相当部分、真の21世紀型デモへと民衆を導かなかった彼らのミスのせいだ。 21世紀的なデモは'DAUMアゴラ'、'ソウルドレッサー'、'82クック'などインターネットの自生集団からその始まりが見られる。体系的な組織がなく、ゆるく繋がっているが集団知性化-電脳化で選択と集中に卓越した姿を見せる。面白く、魅力的だ。苦しくなく楽しい。わざわざ血を流して声をあげなくても、一日30分ほどのインターネット活動と電話抗議だけで相手の弱点(資本と権威)をつき十分に、いや予想外の成果を上げた。21世紀的想像力と創意力でこのような非対称的、脱近代的民衆運動の多様化、効果極大化を企てることが私達がこれからすべきことだ。もう一度話すがろうそくは夜に街でだけ灯すものではない。心の中で、インターネットで、電話で、市場で、昼も夜も息をしながらずっと灯すべきだ。 だから2008年大韓民国ろうそくデモは20世紀近代民衆運動の再生失敗及び消滅という終末神話であり、21世紀脱近代民衆デモの胎動神話でもある。誕生はもう暫く待たなければいけない。 2.ろうそくデモとろうそく民乱の岐路に立った2008年民衆デモ 市庁前の広場を灯すろうそくには勇敢で賢明な大韓民国民衆がいる反面、予測不可能で、いつ暴徒に突変するかわからず、いつ意志を失くすかわからないXマンたちがいる。問題は彼らが制御不可能な上、有意味なほどに規模が大きくなっていっているという点だ。これに加えてイミョンバク大統領を含む公権力の愚かさが彼らの不安定性により拍車をかける。 一つは上であげた'失うもののない人々'だ。非難を覚悟してあげるとするならホームレス、失職者、低所得貧民層である。この人々は大義と名分は眼中になく、怒りを放出する対象が必要なだけだ。対策会議はもちろん、誰にも統制はできない。一杯の酒で蛮勇を得て、まず'ことを起こすことが優先'だ。ことが起きてから周りの人々が止めることができる。彼らは政権の強硬鎮圧の理由を提供するXマンそのものだ。このような人々はデモ隊が直接警察に渡すべきだが、そうしないことを理解しがたい。発揮してはいけない同士意識だ。 二つは米産牛肉を理由に'イミョンバクの下野'だけをしつこく主張する人々だ。即ち、イミョンバク大統領だけを落とせば全てが解決すると考える人々だ。特に彼らの中には去る大統領選挙で某候補を支持したが、その人が当選したならこんなことはなかったという被害意識と妄想を持っている人々がいる。しかし彼らを待っているのは'自分が支持した候補が新大統領、または重要な座を埋める可能性は希薄だ'という残忍な現実だ。また、イミョンバクを追い出したあと、全てが解決していないことに気づき茫然自失することだろう。このように考えたとおりにことが進まなければ彼らが黙って引き下がることはないはずだ。問題は彼らがろうそくデモの最初を主導し大きな影響力と持分を持っていることであり、これが終局には私達が分裂する脳幹として作用するかも知れないという点だ。 この二つの集団の規模が有意味な状況でろうそくデモは'革命の神話'と'民乱'の岐路に立った。20世紀に大韓民国民衆を握って揺らしてきた家父長的、国家主義的イデオロギーに打ち克ち民主主義と性平等と、配慮の価値観を大韓民国に確固に居座らせる'革命'になるのか?それとも不安定性に揺れ動かされた末、流血事態と国家機能停止、勝者のない虚しさ、最悪の場合外勢の再介入を招く'民乱'になるだろうか?その昔、パリ・コミューンのように公権力と外勢に無残に引っこ抜かれてしまう民主主義の芽になるだろうか? 3.ろうそくデモによるイミョンバク下野は虚構だ。 下野した大統領の事例はイスンマンとニクソンをあげることができるが、彼らの共通点は'自らの支持勢力'が敗北を認め背を向けたため、決断を下したということだ。イスンマンは右腕のイギブン一家が没死(養子のイガンソクが全員殺して自殺)し、京橋莊進入デモ隊に対する発砲で市民が死亡すると下野の決断を下した。ニクソンはウォーターゲート事件に対する'嘘'で与党が弾劾を主導し、不名誉に下がる前に下野声明を発表した。 ならばイミョンバク大統領の下野はどうすれば可能か?ハンナラ党のトカゲの尻尾切り、親イミョンバク系列議員の支離滅裂。保守-従米人事のイミョンバク支持撤回が成し遂げられるべきであり、朝鮮、中央、東亜日報が公にイミョンバク大統領の下野を要求すべきだ。つまり"右派が状況が変わったことを認め、イミョンバク大統領を捨ててこそ"可能だ。 ろうそくデモ隊は国民の意志に従って下がれというが、イミョンバク大統領や彼の支持勢力はろうそくデモ隊を'国民'だと見ていない。"既得権を奪おうとかかる暴徒"であるろうそくデモと公権力との衝突は、むしろイミョンバクの支持勢力を結束させ、抗戦体制と意思を強化させるだけだ。こうすればイミョンバク大統領下野は絶対不可能だ。真にイミョンバク大統領の下野を成し遂げたければ、私達は'敵を説得する戦略で行かなければならない。 簡単に説明すると現在、イミョンバク大統領を支持する勢力が規模だけでなくその影響力まで合わせて20~30%で、暴力といわれると震え上がり安定的に静かに生きることを望む不動層が20~30%、'イミョンバクだけはダメだ'とろうそくを灯す、もしくはそれに同調する勢力が40%だとしよう。このとき全体で85~90%を確保しなければ大統領の自発的な下野は成し遂げられないのだ。 本当にイミョンバクを下野させたければ'広い意味でのろうそくデモ'に不動層を引き込むべきであり、保守勢力を、そしてあなたの親を説得しなければならない。イミョンバクは本当にアレだから右派の代案を立てろと促さなければならない。HIDであれ、大統領の命令なら死ねる輩であれ、とにかくイミョンバクでなければいいと話し、パククネであれ誰であれ違う人を出せと話せ。パククネ、イホェチャンをその気にさせて市庁前に導くなど、'敵'を抱きこむ戦略を使わなければ、イミョンバクは決して退かない。保守は必死の思いで結集、事態はより悪化し、より多い血を流さなければならなくなる。 自らの意志と価値に対する自負心によって街で、インターネットで、電話で、夜も昼も、息をする毎瞬、ろうそくデもを行う私達は決して退いてはならない。決して自分を疑うな。決して負けてはいけない上に、負けることもできない。安全に生きたくて、後世に堂々とした存在になりたくて一つ二つ増えていったろうそくで大韓民国は歴史の1ページを進ませ、取り返せない状況へと至ったからだ。これが民乱だと記憶されるか、革命だと記憶されるかは政府の強硬鎮圧と挑発に'クール'に対処するろうそくの冷静にかかっている。どうか深呼吸をして、気をしっかり持ってほしい!そしてこの全てが終わったとき'彼ら'に隙を見せない私達の結束に2008年ろうそくデモの成敗がかかっている。あの「バツ解放戦線」の悲劇的な末路を忘れるな。 ろうそくデモに関する文章はこれ以上書かない。これ以上深く考えたりもしない。世界史を飾る21世紀型革命の神話になるか、国家機能を停止させたという理由でパリコミューンのように強硬鎮圧された民乱になるか、どちらかで決着がつくはずだ。時代遅れの左派活動家達のミスが続けばろうそくデモは魅力を失うことになり、血を流して鎮圧される民乱に転落することになる。そして左派は大衆的基盤をなくして終焉を迎える。反面、右派が賢くトカゲの尻尾切りをせず、イミョンバク大統領を守るなら、次期選挙で支離滅裂することになり、これから数十年間政権が取れなくなるはずだ。いうなれば左派-右派共滅の危機が渡来した。果たして誰がこの破滅を逃れるだろうか?どちらが逆発想の斬新さと、未来を予測する慧眼と、死即生の覚悟で苦しい決断を下せる強い心を持っているかにかかっていると思う。
by no_kirai
| 2008-08-10 17:30
| ろうそく集会(デモ/文化祭)
|
タグ
個人ブログの書き込み
朝中東
韓国の言論
2MB
ろうそくの現場
ろうそく集会を語る
ハンナラ党
盧武鉉
用語解説
笑えない話
ろうそくの裏側
民主主義
牛肉協商
経済
インタビュー
狂牛病と米産牛肉
金大中
デモと市庁広場
独島
転載ではない
以前の記事
2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||