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鎮圧命令に反対するイ・ギルジュン義務警察 (オーマイ、7月25日)

「鎮圧中にヘルメットの下で泣いたりもした」 現役義務警察が、ろうそく鎮圧に抗議、復帰拒否 原文

(前略)5月に友達の手紙を通じて、外で米牛輸入問題についてのろうそく集会があるということを知った。中ではニュースや新聞を読むことが難しいため具体的な状況について知らなかったし、最初は他のデモのように「特定の何人かがしばらくやっては、すぐやめるだろう」という考えをしたのも事実だ。










(中略)

部隊に復帰した次の日から雰囲気が変わっていた。その日が5月31日だった。当事、私は機動隊のバスで何も考えず待機していた。ところでいきなり全員降りろという命令が下された。鎮圧服を着て、盾を持ってどこかに走っていけといわれた。私は理由もわからず無我夢中で道を走ったが、そうしていると私がデモ隊と向かい合う最前列にいた。孝子洞側だったし、当事は大学生達が前に多かったように覚えている。みんな、何か大変なことが起きているように緊張して声を出していたが、とても現実感が感じられなかった。水大砲が来るという叫びを聞いて現実感が戻った。「まさか撃ったりはしないだろう」と考えた。水大砲は2時間も待っていた。名分を得るためにデモ隊の専制攻撃を待っていたのだ。

「デモ隊の専制攻撃を待ったという判断は主観的な判断ではないか」と聞いた。彼は「デモ隊が揚げ足を取れる行動をすることを、すなわち水大砲を撃つ名分が生じることを待ったというのが、当事の全般的な雰囲気だった」と話した。そして指揮官や先輩が義務警察たちをどうやって教育しているかを話してくれた。

「殴れ。殴るところが見えないように殴れ。最近はみんなカメラを持っているからヘマして撮られるぐらいなら盾を軽くあげて足などを蹴れ。」

水大砲を撃ちながら鎮圧は始まった。数多くの者が明るく朝日が差し込む光化門の街で血を流しながら倒れていったその日の朝だった。

「水大砲を撃った末に、突然、前へ出ろといわれた。後ろからも押してくるし無我夢中で前に走った。人々を押して押して結局、光化門まで押しやった。朝日が昇るまで鎮圧をした。終わってから道端に座り込んでいると、私の人間性が白く燃え尽きたようだった。私が何をしたのかと思った。もちろんデモ隊の中では暴力的に抵抗をした人もいた。私も焼酎のビンに殴られたが、それがまったく不快ではなかった。その人々は丸腰だし私は盾を持って鎮圧服を着た状態で叫びながら走っていったからだ。そんな姿が市民にとっては大きな恐怖だったはずだ。」

声を大きくあげなければ、殺気に満ちた姿を見せなければ部隊に帰って罰せられるという。義務警察社会内の暴力的文化は、いかなる現役軍人よりも深刻だ。内部が人間的でないため外部を見る視線もまた変わるしかない。

彼は「義務警察内部を支配する雰囲気は、デモ隊は自分を疲れさせる敵であり、その敵を早く一掃することをただの業務として扱う」と伝えた。鎮圧指針はデモ隊を保護するためのものではなく、事故を起さずに鎮圧せよというものだと。

(中略)

そんな状況で最初は逃避を試みた。怪我を負えばデモ鎮圧に出なくてもいいと考えて足を折らせようとした。他の部署に移せないかと調べたりもした。しかし結局うまくいかず、そうやって送った6月はあまりにもつらかった。幸いにも6月には直接デモ隊解散や鎮圧ではない、歩道を塞ぐ役割だったため耐えられたと思うという。

7月になって逃避ではない抵抗をすべきではないかと考えた。今まで生きてきながら妥協ばかりして生きてきた。しかし今回だけは抵抗をしたかった。(中略)

彼は記者会見を準備している。どんな記者会見であるか、記者会見の以降から降り注ぐ非難が心配ではないかを聞いてみた。社会が彼に軍隊に行きたくなくて、軍生活に適応できなくて騒ぐという非難を浴びせることは目に見えている。

「広く知らせたい。しかし俗にいう運動圏がする戦略的な思考ではなく、ただ人々が広く知ってほしいという気持ちだ。戦闘義務警察の中にも私のような人がいること。そして内部の告発者として、その中がどれほど暴力的に運営されているかを浮き彫りにしたかった。また、若い子達を死地に追いやり、デモ隊と衝突させる政府に抗議がしたかった。

記者会見は'戦闘義務警察制度廃止のための連帯'で活動する方々と連絡が繋がり一緒に準備することになった。まだ具体的にどんな主張をどうするかは悩む時間がなかった。大げさな主張をするよりはただこんな人がいることを知らせたいという程度しか今は考えていない。(中略)内部の暴圧的な文化は私がこの決定を下した理由の一つだ。しかしろうそく集会がなければこんな決定までは下せなかったはずだ。ただ今のように、なんとか適応して生きたはずだ。そして後輩を殴ることが他よりは少ない先輩になっていたと思う。」

- ろうそく集会の間、内部の状況が前より暴圧的に変わったのか?
「ろうそく集会から6月、7月と内部の雰囲気が険悪になっていった。部隊員に緊張をさせ、軍機を立て直すという名目だった。デモ出動前後にバスの中で罰を受けたり殴られた。lろうそく集会が続くほど内部の殴打や過酷な行為が酷くなった。7月には毎日殴られたようだ。」

彼はこの部分で極度に話をすることに躊躇した。自分の決定で他の誰かが被害を受けることを望まなかったからだ。彼はこれを「構造の問題」だと表現した。だからこそ彼はこのような悪循環が繰り返す戦闘義務警察制度が廃止されるべきだと話した。しかし全てを構造の問題にすることもなかった。彼は今の戦闘義務警察が選び、抵抗でき、そうすることを望むと話した。難しい道だが自分の決定が彼らに勇気を与えることを望むと話した。(後略)

イギルジュンたちの叫び「私達は正当だ」
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by no_kirai | 2008-08-10 10:59 | ろうそく集会(デモ/文化祭)
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