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2MB政府が踏んでいる地雷…「情報化社会の透明性」

李明博政府、どこへ行く <下>(プレシアン、2008.3.20)からの抜粋


ノムヒョン政府があまりにも実用的だったために、支持の基盤を喪失し、新自由主義の実用性を信じすぎたために、主に上位層だけが得をする経済成績票を残したが、肯定的な業績を残したことも多い。その中の一つが、まさに「民主主義の実践」と「社会の透明性の引き上げ」という面である。これは最近のイミョンバク政府と比べられ、ノムヒョン前大統領に対する新しい人気が形成されつつあるようだ。

民主主義の実践というのは、強圧的で権威的な方法で民主主義の制度と手順を破り、政治の場を変えようとしなかったという点、自らをけん制する権力機構との一定な距離を置きつつ忍耐した点、そして批判勢力に対して力よりは論争で対応しようとしたことを意味する。ノムヒョン政府のこのような民主主義の実践は、自らに対する虚飾のない(時には過剰な)報道を容認し、韓国の実情では無理だと思えるほどの高い先進国の検証基準と判断基準を許し、社会的透明性と「先進性」を同時に高めた。











すでに国民が一度民主主義を経験し、透明性の魅力を味わうと、次の政府が前の基準にまき戻すことは、とてつもなく難しい。それだけでなく、新しい政権は既に高められた基準と、民主主義の原則という刃が自分の首に当っていることを発見することになる。

このような刃はすでにイミョンバク政府の長官人事聴聞会でその鋭さを剥き出しにした。正直なところ、ノムヒョン政府が耐え抜き、ハンナラ党と保守言論が作った、とても先進的な基準に当てはめれば、その基準をパスできるイミョンバク政府の人事は殆どいなかった。従って民主主義の実践と透明性の引き上げは、ノムヒョン政府が埋めた、過去回帰勢力に対する地雷だといえる。

イミョンバク政府の引受委員会と初期内閣人事は、殆ど例外なくこの地雷を踏んでいた。私的な(private)成功(結果的な成功)と公的な(public)能力を区別できない多くの人々が、国家を私的な能力の領域だと考えては、進出しようとしたからだ。

周知のとおり、過去の私的な個人的な成功、特に過去の開発主義、権威主義にともなった個人的な成功は、正常的な過程から外れている場合が多かったため、国民が公的な正当性を与えることがとても難しい側面がある。

にもかかわらず、イミョンバク政府の多くの人々は現在の主流社会で高い地位を持っていたり財産を多く積んでいればすでに公私に関わらず能力が検証されていると信じる、単純な傲慢さと狭い世界観を持っている。その単純な傲慢さと世界観が、ノムヒョン政府の時期に上げている透明性の地雷に、全てひっかかったのだ。

イミョンバク政府は、地雷を踏んだ戦友を引きずって進むか、捨てて進むかを悩んでいるが、民主主義社会のあちこちに埋めてある地雷そのものを除去することはできない。除去の試みそのものが、言論とインターネットを通じて知らされ、より深い地雷の底に陥る結果を招くことになる。保守言論が報道をせず、政府がいくら報道規制をかけるとしても、止められないのが民主主義と情報化の世界だ。

しかも一般人の属性は、隠そうとすることを掘り返すことに興味を持つわけで、上手くやっていると宣伝することにはすぐに飽きてしまう。保守言論の、隠して包んで正当化して、ノムヒョン政府を繰り返し攻撃する記事に対して、読者はすぐに魅力を失うか飽き飽きし、新しく暴き、掘り返し、批判する言論に目を向けることになる。だからといって、言論を統制するにも、ノムヒョン政権が埋め込んだ透明性の地雷のせいで、簡単には出来ない。

筆者は権力のトリレンマ(trilemma)という仮説を主張している。(1)権力の維持 (2)権力使用の自由放任 (3)権力使用の透明性の中で、一度に三つを全て取ることは不可能であり、多くても2個までしか持てないという主張だ。

今、ハンナラ党のように新しく権力を取って維持し、その権力を使いたいように使うには、ハンナラ党は言論統制、情報化の縮小などで、権力使用の透明性を減らさなければならないということだ。つまり権力を無分別に自由放任的に使用するという事実を国民達が知ってはならず、国民達は政府が上手くやっていると考えるよう、言論統制をしなければならない。

別の場合、権力使用の透明性を守りながら権力を維持するには、権力を自由に無分別に使用するのではなく、民主主義的な手順と基準に従って、自らを制御し、忍耐しなければならない。この場合、民主化と情報化を同時に守りつつ、権力を維持する「先進的な政治」が行われることになる。

また別の場合、透明性を維持して権力を心のままに使用すれば、その権力は急降下の道に入ることになる。これを絵で描くと次のとおりだ。この三角形で持てる辺の数は二つを超えられないという主張だ。

この権力のトリレンマにて韓国はすでに民主化、情報化が取り返しのつかないほど発展したため、政府が権力使用の透明性を減らしながら、残りの二つを持とうとする権威主義的な努力は、失敗することになっている。

つまりイミョンバク政府は、過去のパラダイムと民主主義の以前の慣行のままでは、支持率下落という局面を突破するのが難しいということだ。情報化と民主化が行われた社会では、透明性を殺しながら自由放任的に権力を行使しようとすれば、権力を急速に失うことになる。従って民主主義と情報化社会に適応しており、これまで高まった基準と透明性に符合する人物と政策を見つけることが、イミョンバク政府の課題である。

それが出来なければ、5年間ずっと、本当に疲れる毎日を過ごすことになるはずだ。ノムヒョン政府の時は、言い争いが多くて疲れたが、「行動で実践する」というイミョンバク政府では、抵抗の行動を誘発して、疲れを頭ではなく体で感じるようになりそうだ。




訳注:この記事には次のようなコメントがついています。

韓国社会が本当に昔とは違って、現在の大統領の実態を把握してけん制できるでしょうか?相変わらず、この人に対する支持率が50%に近いという事実は、どう解釈すればいいですか。社会全体で一握りにしかならない既得権のための政策を行っているにもかかわらず、自分がその政策の犠牲になっていることにも気づかず、支持を続ける人々は、この情報化社会で何を見ているのでしょうか。もしかすると何も見ていないかもしれません。それを見ていると絶望的な気分しか感じません。
by no_kirai | 2008-07-24 03:20 | 牛肉協商と李明博政権
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