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2MBにないものがここにあった。「明博山城」前での7時間ガチ討論の意味

街頭民主主義、ろうそく集会のこの先を論ずる(オーマイニュース)


李明博にないものがここにあった。「明博山城」前での7時間ガチ討論の意味


無限挑戦(注:韓国のテレビ番組)ではなく無限討論だった。ガチ討論という言葉は、ここにこそ相応しい。10日の夜10時から、11日の午前5時まで、「明博山城」と名づけられた光化門十字路に設置されたコンテナ障壁の前では、まさに大変な討論が開かれた。

「ラーニングタイム」は7時間、日が昇る頃にやっと終わった。討論参加者の規模は?信じられないかもしれないが、延べ人員1万人から最小でも3000人以上。議題は?「あの目の前のコンテナを越えるべきか。超えずに光化門十字路に残るべきか。」つまり闘争の程度をあげようという側と、ずっと平和デモの基調を維持しようという側の勝負だった。

甲論乙駁、退くに退けない「討論の乱場」が展開した。予告された日程でもなく、準備された行事でもなかった。当然司会者もパネルもいなかった。同意を得た人が司会を務め、発言したい人は自由にマイクを取った。機会は均等に与えられた。

ある者は論理的に丁寧に述べ、ある者は溜まった感情を弾かせた。聴衆は見解によってそれぞれ拍手や揶揄を送った。








こんな討論が一箇所で行われたわけではない。あちこちで開かれた。コンテナ境界線の向こうで李明博大統領が眠っている頃、境界線の外の光化門十字路はアクロポリス広場と化し、そこの主役として立っていた市民達は自分の言葉を述べ、他人の言葉を聴きながら夜を明かした。

実のところ、この日の徹夜討論はろうそく文化祭と街頭デモが新しい局面を迎えたことを端的に表している。より強く戦うべきか、でなければ平和な現状を維持するべきか。ろうそく文化祭が始まって40日以上経つ現在、また別の戦略と戦術への苦悩が始まったのだ。この日の夜に討論を行った両方の見解をまとめることは、だからこそ意味がある。

[コンテナに登ろう] "再協商なければどうするつもりだ"

「今日、最大の人数が集まった。少なくとも政権が張った線は越えていくべきではないか。それが私たちの声だ。政権のコンテナ設置そのものが暴力だ。それに立ち向かう行動すべてを暴力だとみなしてはいけない。私たちが鉄パイプを持とうってわけじゃない。街頭デモがもう17日も続いた。ずっと李明博大統領が再協商を行わないならどうする。」


この日、コンテナに登るべきだと主張したビョンソンフン(32)氏の言葉だ。ビョン氏は「暴力デモをしようというわけではなく、ろうそくデモの程度を一段階上げるべき時点にきた」と強調した。ビョン氏は「コンテナに登ること自体を暴力だと見なすなら、私たちにできる戦いは何もない」と続けた。

この日ビョン氏は「非暴力」を叫ぶ人々と熱い討論を繰り広げ、繰り返しスタイロフォームの演壇を積み上げた。実はこの日の討論は誰かがスタイロフォームを大量に用意してくるところから始まった。ビョン氏と同じ考えを持つ人々はスタイロフォームを積み上げ、少なくともコンテナの上には登るべきだ。と主張した。

このような主張は現場で突然出てきたわけではない。ネット利用者の間では「砂袋でも積み上げて警察の障壁を越えるべき」という主張は既に提議されていた。

イミヨン(28)氏は「国民の声を拒み続け障壁を積み上げている傲慢な李明博大統領に、国民達がこの障壁を超えられるということを見せてあげるべき」とし「暴力と非暴力は状況と条件、見方によって変るものだ、私たちを暴力集団だと思うなかれ」と述べた。

コンテナに登る行為そのものを暴力だといわれるのは心外だという主張だ。結局この主張は、李大統領が米産牛肉輸入再協商を行わなければ、さらに高い程度のデモは避けられないということだった。

[コンテナに登らないようにしよう]
"平和集会が私たちの武器だ"

「コンテナに登ったところで何が変る。暴力デモをやれば政権を刺激することになり、朝中東が大喜びで私たちを「叩き」にかかる。そうなれば乳母車部隊はもう街に出てこないようになり、ろうそく集会は支持を失くす。平和集会が私たちの武器だ。」

パクソンス(39)氏は繰り返しスタイロフォーム演壇に立ち塞がりながら言った。パク氏の顔は汗で一杯だった。繰り返しスタイロフォームを運ぶ人々と対峙したからだ。パク氏は「平和集会じゃなければろうそく文化祭の価値はなくなり、やがて私たちの戦いは敗北で終わる」と主張した。

こんな見解を持っている人々は「戦いのレベルを上げようとする側は結局、朝中東と李明博大統領に花を持たせるだけであり、向こうは私たちが鉄パイプを持つ日を待ちわびている」と延べていた。

キムゾンミ(26)氏は「平和集会でこれ以上得られるものがないという主張もあるが、私たちはずっと平和的な方法で戦って、時間を置いて見守るべきだ」とし「私たちはすでに告示留保という成果を出しているではないか」と述べた。

彼らが憂慮するものは二つに要約できる。戦いのレベルが上がれば朝中東などの集中攻撃を受けることになり、そうなればろうそく文化祭の国民的支持が消えるというわけだ。

街頭討論は蝋燭の力


7時間にも及んだ両方の討論は、結局、旗だけをコンテナの上に上げようということにまとまった。集会の参加者達の安全を守りつつ、政府が張った境界を国民達が越えており、また超えることができるということを見せる、一種の象徴行為だった。

旗がコンテナの上でなびくと、譲ることない激烈な論争を繰り広げた両方は、一緒に歓呼をあげた。「李明博は下がれ!」「国民が勝利する!」を叫び、<愛国歌>と<広野で>などを歌った。妥協を受け入れ、その過程を肯定したのだ。

本当のところ、このような討論と妥協の場面は真新しいものではない。単にこの日の討論が長すぎただけだ。米産牛肉反対ろうそく文化祭で、街頭討論と妥協は常にあった。最近、広場と街に出てきた人々は組織化されていない個人たちだ。当然指導部もなく、誰かの指導を受けること自体を好ましく思わない。彼らは指導部の空白を討論で埋めつつ今までやってきた。

市民達は街頭での民主主義を好み、彼らの行いはそれ自体が直接民主主義だった。市民達は言おうとする人々の口を塞いでおらず、聴こうとする者の耳を塞がなかった。疲れていても討論という過程を省略しなかった。

民主主義は複雑で「疲れる」制度だ。しかし市民達はその民主主義を選び、韓国の近現代史はそんな民主主義の価値を拡張してきた過程であった。

現在、多くの国民たちが「李明博反対」を叫び街へ出てきたのは、李明博大統領が対話と討論、そして妥協という民主主義の疲れる過程を「実用」という名のもとに省略してたからでもある。

1万人に及ぶ市民達はコンテナの上にたった10数個の旗を上げることにも7時間という徹夜討論を甘んじて受け入れた。しかし国民に仕えるといっていた李明博大統領は国民の健康のかかった問題を瞬時に独断で終わらせた。この日、コンテナに登った市民達はこう書かれた垂れ幕を広げた。

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"疎通の政府、これがMBの疎通なのか"

国民達は相変わらず大統領と疎通の不在を感じている。11日の夜明けに一人の市民は「これから警察の阻止線を超えるか超えないかをアゴラ(ポータルサイト'Daum'の討論掲示板)で討論して決めよう」といい「多数が決定する方向にみんな従おう」と提案した。市民達は歓呼と拍手を送った。

振り返ってみると市民達はこれまでの1ヶ月間、絶えず戦いの程度を上げてきた。ろうそく文化祭が街頭デモに及び、「告示撤回協商無効」は「李明博退陣」に変った。米産牛肉反対ろうそく文化祭と街頭デモは、また新たな局面へと移行しようとしている。

その局面は李明博大統領の「民主主義に対する感受性」によって変わることになる。
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by no_kirai | 2008-06-11 21:10
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