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私は何故4大河川事業に反対しているのか?(2/2)


5.なんの準備もない拙速事業である。


4大河川事業についての政府の広報を見れば、いったいなぜこの事業をしなければならないのかに対する具体的な根拠がまったく提示されていない。たった数か月の密室作業から胎動した事業のため具体的な根拠があるはずもない。政府がこの事業を行うべき当為性の主な根拠として掲げているのは水質浄化、洪水予防、用水確保の三つである。ところでなぜそのような目的の事業が必要なのかについての具体的な統計数値は一つもなく、ただ漠然とした修辞(rhetoric)を散りばめているだけである。魚と鳥たちが死につつあるので早く川を救うべきだ、水不足に備えるために水を入れる皿を大きくすべきだというふうの虚構の修辞以上のものを見つけることは難しい。

水質浄化のために4大河川事業が必要だという点を納得させるには、現在4大河川の水質汚染がどの程度であり、どんな対策が必要かということを正確に知らせなければならない。これのために政府がすべきことは一つや二つではない。長期間にわたり4大河川の各地点から正確な汚染度を測定し、主な汚染源はなんなのかを知っておくべきだ。その次にその正確なデータに基づいて、いろんな対策の効率性を比較、評価する作業が伴ってしかるべきだ。このような包括的な分析作業の結果、4大河川事業のような大規模竣設のほかに適切な代案はないという結論が出てこそ、この事業の正当性を認めてもらうことができる。

私が信頼する我が大学の環境工学専門家によれば、いまのように4大河川を大々的に掘り返す理由がまったくないという。川の底の土が汚染している事例がまったくないわけではないが、ごく一部に限ることであるため、全域にわたっての大規模竣設はまったく必要がないということだ。もし政府がこの主張を反駁したければ4大河川の全地点から採取した土壌サンプルが深刻に汚染しているという証拠を提示すればよい。このような簡単な反駁すらできないでいることが、政府がなんの客観的証拠も持っていないと言うかっこの証拠である。今の状況で彼らにできる唯一のことは、「榮山江と洛東江の水が腐った。」もしくは「冬の渇水期になれば汚染度が特に高まる。」のように漠然とした言葉を連ねることのみだ。








また、水不足事態に備えるために川の水を閉じ込めておく必要があると主張する論理的根拠も極めて乏しい。政府は水不足事態の到来に備えるべきだという言葉ばかりをオウムのように繰り返すのみで、いつどの程度の水不足現象が現れるかについて、具体的な展望はまったく出せずにいる。水不足の可能性を語る唯一の根拠が、外国のある私設研究団体が出した信憑性のない報告書であるようだ。降水量を人口で分けて得たこの粗雑な分析結果は、多くの専門家たちの嘲笑をもらっている。こんな生半可な分析結果に基づいて水不足事態に備えるべきだと叫ぶことは、一つのコメディだと言えよう。

常識的に考えて、私たちが近い将来、水不足事態に直面することになる可能性はとても希薄である。これから水に対する需要が大幅に増加するか供給が大幅に減ると予想するいかなる根拠もないためだ。水に対する需要は私たちの生活方式、そして産業構造と密接な関連を持っている。もし私たちの生活方式がある理由でいきなり水をずっと多く使うものに変わるなら、水不足事態が現れ得る。たとえばたいがいの家でみんなが裏庭に水泳場を作り、毎日水を入れ替えることが起きれば水が不足するかもしれないということだ。近い将来にそのような変化が発生するだろうか?答えを待つまでもない疑問である。

産業構造の側面から見ても、水に対する需要が急激に増加するだろう理由がまったく発見できない。サービス業に比べ農業と製造業が水を相対的に多く使うということは常識に属することである。もしサービス業の比重が今より減り、農業と製造業の比重がより増すなら水不足現象が現れ得る。しかし今の私たちの経済の産業構造はその正反対の方向で再編されつつある。経済規模が全般的に大きくになるに伴い、水に対する需要が大きくなることはあり得るが、この重要増加の幅が産業構造再編による需要減少幅より大きくはならないだろう。ならば産業用に消費される水の側面でも、水不足現象を引き起こすこれといった要因がなるわけだ。

だからといって、水の供給が急激に減るだろうと展望すべき根拠があるわけでもない。地球温暖化に伴い降水パターンが不規則になることは事実だが、私たちの国の付近の降水量が急激に減るという長期展望が出ているわけではない。もし私たちの国が砂漠化の道を歩んでいるという信憑性のある展望が出ているなら、用水確保のために4大河川事業が必要だという主張に若干の正当性を認めることができる。私の知らないそのような展望がこの世のどこかに存在するなら、私に教えていただきたい。

さらに、洪水予防のために4大河川が必要だという主張の具体的根拠が提示されたことを見たこともない。洪水予防のためにその事業が必要だという点を認めてもらうには、何よりも先に、これまで起きた洪水に関連する統計を提示し、4大河川をどんな方式で管理すべきだという点に対し、具体的な説明があるべきだ。しかし今までの洪水関連統計を見れば、いま土木工事が進行している区間で起きた事例がきわめて稀である。真に洪水を予防するための事業を行うなら、上流と支流に土木工事を集中すべきであろう。これは彼らが掲げている洪水予防という目標が、なんの意味もない一つの口実にすぎなかったという事実を物語っている。

一言で言って、4大河川事業はこれといった準備もなく大統領の指示一つによって数か月の短い期間で粗造りされた超大型土木工事だ。4個の川に対して瓜二つのようにそっくりの工事を施行しているという事実が、どれほど準備が不実かを如実に証明してくれている。もし徹底的な事前調査を通じて水質浄化、用水確保、洪水予防の対策を立てたのならば、土木工事の内容が川ごとに違うべきであり、同じ川でも地点によって差があるべきである。たとえば榮山江は水質浄化がもっとも先決すべき課題である一方、錦江の場合は洪水予防が一番必要な課題だという事実を発見したとしよう。そうなれば榮山江と錦江で行われる土木工事の内容は根本的に違うものになるしかない。のみならず、同じ榮山江でも、ある場所では湿地を整理することに主力する一方、別の場所では汚染された水が流れてくることを防ぐことに主力するといったふうに、地点ごとに工事の主眼点が違っていて当たり前だ。

水質浄化、用水確保、洪水予防が重要な課題だということを否定はしない。なのに政府が4大河川に対して、まったく同じように深く竣設し、高いダムを立てる方式でこの課題の数々を一気に解決しようとしていることが、はたして何を意味しているだろうか?なんの熟考もなく即興的に大規模土木工事をすべき理由を作りだしたという意味に他ならない。4大河川のすべての地点でハンコに押したように同じ事業を繰り広げていることを見れば、具体的な計画がなく好き勝手にダムを建て、川の底を掘り返していると言うことを伺うことができる。

土木工事の過程で、もしくは全てが終わってから、思わぬ副作用が現れかねない。しかも4大河川事業のように史上類を見ない大型の土木工事の場合は、突発的な状況が起きる可能性が特に高まる。ならば起き得るすべての可能性を予想し、これへの対応策を設けておくべきだ。4大河川事業本部が、このような対応策を準備してからスコップを動かし始めただろうか?私はそうではないことを確信している。もしそのような突発的状況が発生すれば、全国民がその被害を被ることになる。政府は今、準備の整っていない拙速工事で、国民の安危を深刻に脅かしていることになる。


6.経済的にまったく価値のない事業である

韓半島大運河事業は、粗雑でありながら、少なくとも費用―便益分析の結果を公開しており、経済的妥当性を評価する根拠を提供した。しかし4大河川事業は、そもそも費用―便益分析の結果を提示すらしておらず、経済的妥当性の評価を難しくしている。そのような大規模土木工事に、基礎的な費用―便益分析も実施されなかったということがとても信じられない。前回書いた文で指摘したように、「私を信じるか?ならばついてこい」といったふうに事業を押し通す滑稽極まりないことが起きている。

4大河川事業と関連した費用―便益分析の結果を提示しなかったことは、政府の意図的選択であることがはっきりしているが、私としてはその背景を正確に読み取ることができる。一つ考えてみるとすれば、韓半島大運河が論議されていたとき、便益が費用の2倍以上という分析結果が人々の嘲笑を買ったことを記憶し、今回はそもそも批判するところをなくそうという意図から起因している可能性であろうか。それよりもそれらしく思える可能性は、数か月という短い期間ですべての準備を終えなければならなかったため、費用―便益分析をする時間するなかったということだ。

理由がなんであれ、具体的な費用―便益分析の結果なくして提示された4大河川事業は、その妥当性立証責任の所在を逆転させるとんでもない結果を生んだ。ある公共事業の妥当性に対する立証責任は、当然、それの施行主体である政府にある。なのに最近進められている4大河川事業関連論議を見れば、賛成側が反対側に、なぜその事業に妥当性がないかを証明しろと要求する滑稽なことが繰り広げられている。政府が4大河川を整備しようというのに、なんの根拠があって邪魔をするのかと非難している人々がいるが、彼らもこのように盗人猛々しい要求に加担しているわけだ。

いくら論議が混乱の様相を呈しても、公共事業の妥当性を立証する責任が政府にあるという常識を覆そうとしてはならない。政府は水質浄化、用水確保、洪水防止から来る便益が22兆ウォン+アルファを超えるという確かな証拠を私たちに提示しなければ、4大河川事業が妥当性を持つという点を認めてもらうことができる。(ここで?は環境破壊と生態系撹乱に関連する費用を意味し、これはとんでもなく大きい数値になりかねない。)その土木工事から具体的にいくらほどの便益が創出できるかを明らかにできないかぎり、正常的な切磋を経て妥当性を認めてもらう道はない。

22兆ウォンと言うだけなら簡単だが、とんでもなく大きい額だ。最近、南ヨーロッパで放漫な財政運営による経済危機が頻発していることを見れば、私たちも決して安心できる立場にいないことがわかる。イミョンバク政府が参加政府から健全な財政を受け継いだのは幸いだったが、不実な財政を受け継いだなら、グローバル金融危機の波を乗り越えることは難しかっただろう。経済性が立証されてもいない事業に22兆ウォンもするとてつもない額を注ぎこみながら財政の健全性を語る資格があるだろうか?次の政府に不実な財政を残す最初の政府にならないことを望む。

この22兆ウォンという不急不要な支出の負担が誰のものになるかは、わざわざ説明するまでもない。しかも金持ち減税を通じて中、低所得層の租税負担を相対的により高めておいているという事実を考慮すべきだ。無償給食問題が提議されたとき、年間1兆強の追加的租税負担をめぐり、ポピュリズムか否かで激烈な論争が繰り広げられたことがある。なのに22兆ウォンもするとてつもない金を無駄遣いすることに関連する租税負担論争が起きないということは不思議なことだ。一人の国民として、私はそのような無意味な租税負担を一銭でも増やしたくはない。

より深刻な問題は、その22兆ウォンがの費用も、全部ではないということにある。一端工事が完了した後でも、毎年維持と保守にとてつもない費用がかかることがはっきりしている。青渓川のように小さな水の流れ一つを維持、保守するにも毎年100億ウォン近い費用がかかっているという。ならば全国の川に毎年注ぎこむべき金は天文学的な規模に及ぶだろう。考えてみれば、水質浄化した枝に入る費用だけでもすさまじい規模になることを容易に推測できる。流れ着く水が相変わらず汚いなら、水を入れる皿が大きくなったところで、水がよりきれいになるわけがない。むしろ水の流れが遅れ、より汚くなる可能性が大きい。4大河川事業で水が清くなるということは、とてつもない費用をかけて浄水をするという意味に他ならない。それだけの量の水をきれいにするのに、はたしてどれだけの金を注ぎ込むべきかを想像してみてほしい。

22兆ウォンに、環境破壊と生態系撹乱と関連する費用を加え、これに再び毎年かかる維持、保守費用まで含めれば、実におそろしい費用がかかるという結論が出る。厳密に計算してみれば、その事業から出る便益が1/10にも満たない可能性が大きい。私は経済学者としての良心に賭けて断言できる。いろんな情況に鑑みて判断したかぎり、4大河川事業は経済的にまったく価値のない事業だと。政府がもう少し具体的な数値で私を説得できないかぎり、私はこの結論を少しも修正する容易がない。

最近は4大河川事業の工程がすでに30%以上進展されたため、事業を続けたほうが効率的という出鱈目の論理まで登場している。経済学の基礎さえ持っていれば、この論理が一考の価値に値しないゴミだということにすぐ気付ける。土木工事に今まで注ぎこんだ金は何をしても回収できないという意味で埋没費用(sunk cost)の性格を持つ。経済学言論の本を見れば埋没費用がいくらでも未練を捨てなければ合理的選択ができなという説明が載っている。取り返しのつかない過去への未練は忘れてしまうのが上策ということだ。

そのため、いま4大河川事業の継続の是非を考慮する際、いままでいくらの金をかけたかに執着せず、未来のことだけを考えるべきだ。つまり、工事を続けて私たちの国土をさらに壊すことが望ましいか、それともここで手を離すほうが望ましいかを考えるべきだということだ。30%の工程を見せている今、凄惨に壊れたが、これ以上の破壊を止めることも重要なことである。当然忘れるべき埋没費用を理由に追加的な破壊を容認することは、決して合理的な選択になり得ない。


7.おわりに

私は独りの人間として、市民として、知識人として、そして経済学者としてのすべての良心をかけて4大河川事業に反対している。私はその事業が遂行する価値もないだけでなく、遂行してはいけないということを自信を持って証言できる。今の状況でそこまですさまじい額を注ぎ込みながら4大河川を整備する当為は、まったくもって目につかない。政府が語るように私たちの川が深刻に汚染されているわけでもなければ、洪水と水不足の脅威が目前に迫っているわけでもない。そのような大規模土木工事が切実に必要な理由は、政府のみぞ知ることであり、私たちは誰一人知り得ないでいる。

4大河川事業が、ただ貴重な税金が浪費される結果で終わるならば、ここまで激烈に反対はしなかっただろう。私がもっとも憂慮していることは、大規模の環境破壊と生態系撹乱がもたらす波及である。現在、たった30%の工程を見せている状況でも、深刻な水準の環境破壊が起きている。工事が完全に終わったとき4大河川縁辺がどれほどむごい姿になり果てているかを想像したくないほどだ。そのときにんれば数千、数万年を私たちの隣で親しく曲がりくねって流れていた川は、私たちと永遠に別れを告げなければならない。その代わり、人工的に作られた巨大な貯水池たちが私たちを迎えてくれることだろう。

全国の川を青渓川と良才川のように作るというが、これは全国の川を整形手術台に乗せるということと変わらない。見かけはしっかりして見えるかもしれないが、中では屈折した生態系を作りだすだろうということはあまりにも自明だ。この川で住んでいた魚を向こうの川へ移し、この川辺で育っていた草と木を向こうの川辺に移す過程で、全国土の生態系は無茶苦茶に壊れてしまうだろうからだ。そのような人間の無謀な干渉がどんな恐ろしい結果を生むか予測できないため、より心配が増す。


国を治める者が、純粋な同機から生まれた国民の心配の声に耳を閉ざしてはならない。しかし不幸にも大統領と政府は一方通公式国政運営を諦める気味をまったく見せていない。数多くの知識人と宗教人たちが強い声で「4大河川事業絶対不可」を叫べば、何があっても任期内を終わらすという固執で対抗する状況である。国民がどんなことを言おうと好きなように国を引き連れていくという独善と傲慢に恐れをなすばかりだ。

今、4大河川事業をめぐる国論分裂の様相は深刻は危機の局面へと突進している。保守言論がこの真実をしばらく隠蔽することはできるとしても、国民の目と耳をいつまでも塞いだ状態で縛っておくことはできない。私はこの危機状況の進展過程を憂慮の目で注視している。最悪の場合、政府と反対陣営の間で力の対決が生じるかもしれないし、あるいは2008年のキャンドルデモのときより、いっそう深刻な社会的葛藤の様相が現れるかもしれない。

私は政府に4大河川事業に反対する学者たちと宗教人たちが発表する声明書を精読してみることを勧めたい。この事業を阻止しようとする者たちの決意がどれほど固いものなのかを知る必要があるからだ。そして彼らが懐柔と脅しに屈する人たちなのかの是非も事前に把握しておいたほうがいいだろうと思う。私から見て、彼らは4大河川事業決死反対の意志をすでに固めた状態であり、いかなる懐柔や脅しにも屈服しない人々だ。もしこの事実をよく知っているなら、反対輿論に対する政府の対応は今と180度変わるべきだ。今のように挑発でもするかのように速度戦で対応する戦略は、反対陣営の決意をますます固めさせる結果しかもたらさないだろうからだ。

しかし現実の状況は、楽観的な展望を下すことが難しい方向へと進んでいる。決定的な反転がないかぎり、イミョンバク政府は4大河川事業のスコップを決して止めないはずだ。だからといってこの事業に反対している知識人と宗教人がこれをやすやすと受け入れそうもない。破局を避ける唯一の道は、4大河川事業のスコップをしばらく止め、開かれた心で対話を始めることだけだ。どうせ4大河川事業は続けるが、言うことがあれば言ってみろという形の偽りの対話の提議は、むしろ状況を悪化させるばかりである。

この事業に反対する人々を説得しきれないとすれば工事を中断するしかないという覚悟で対話に臨むべきだ。民主主義の原則がしっかり守られているなら、これが当然の理である。国民の半分以上が反対し続ける意思を持っているなら、未練を捨てることが原則であるからだ。大統領に選ばれたからといって、国会の絶対多数議席を確保したからといって、すべてのことを自分たちの好きなようにできる白紙手形を渡されたわけでは決してない。

これまで私たちの社会の民主主義は絶えず発展を遂げてきた。今は世界のどの国にも引けを取らないほど成熟した段階に入ったと自負してもいい程度になった。しかしイミョンバク政府の一方通公式国政運営により、民主主義的原則は重大な脅威に直面することになった。

4大河川事業をめぐる国論分裂の状況がどんな方式で整理されるかによって、私たちの社会の民主主義の前途が決まるだろう。国民の輿論を無視し4大河川事業をそのまま押し通すなら、この地の民主主義は回復しがたい傷を負うことになる。私はこのような不幸なことが起きないことを切に願っている。
by no_kirai | 2010-06-02 16:33
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