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ろうそく集会を追憶する

私はろうそく集会に毎週末ごとに通っていた。狂牛病怪談のせいであるはずもなく、私が学んだ憲法が無視されるのを見たくなかったし、人々が殴られるところを見るのも嫌だったことが、しつこくろうそく集会に出席した理由であった。人が殴られるところを代わりに殴られてやり、人が連行されるところを代わりに連行されてあげるために参加した。(ところで調書を書くとき、なんとなくボルテールの言葉を引用したが、それがそのまま調書に入ってしまって今思い出しても鳥肌の立つ世紀の中二病調書が誕生してしまった。ひどい。それって公式記録で残るんだぞ…)

ろうそく集会はさまざまな姿を持つ集会だった。集会に出た個々人の理由も様々だった。私のような人もいれば、検疫主権や食糧安保を話したかった人もいたし(個人的に、それはちょっとどうかと…)協商過程が気に入らなかった人もいれば、本当に狂牛病牛肉が食べたくなかった人もいた。狂牛病牛肉を食べたくなかった人々だけを見ても、いま朝鮮日報が書きまくっているように不和雷同した人もいれば本当に狂牛病牛肉は危険だと考える人もいた。たとえば平素から親環境食料に興味があり、子供に良いものばかり食べさせようとする母親たちがいた。集会の姿も様々だった。私が見ただけでも数十種類の姿を表していた。ある日は本当に祭りの雰囲気であったし、またある日は静かに行進した末に、警察が防ぐとそのまま解散したり、何人かの人が危険にも什器を殴り壊した日もあった。同じ日同じ時刻の集会にて、このすべての姿が演出されたりもした。

このすべての多様性を認めようとしないでいるため、ろうそく集会に対する論乱が収まらないのだと思う。不和雷同した一部の人たちと什器を殴り壊す姿のみを見たがる人がいれば、自発的に集会に参加した胸躍る祭りの姿だけを覚えたい人もいるのだろう。私はどちらも肯定的に見たいと思うが、前者に集中する人々は前者を悪く思っているようだ。とにかく、そのように様々なろうそく集会の一面だけを見ようとするから喧嘩になるのではないか。どの姿であれ実在したため当然証拠は残っているし、互いに別の証拠を突き付けて自分が見たことだけが正しいと言い張るため話はずっと平行線だ。

個人的な考えだが、ろうそく集会に与えたかった意味はこのような多様性にあった。

それはそうと、もう過去のことになったろうそく集会の話を再び持ち出した朝鮮日報の意図が気になる。オフラインはともかく、オンラインでまた論乱が広がれば与党に不利な流れが作られるかもしれないのに、朝鮮日報内に実はプラクチがいるんじゃないかって気になる。






多様性というのは、ろうそく集会が持っているそれ自体の多様性を話したのだ。前の記事でも書いたとおり、ろうそく集会内には本当に様々なスペクトラムの人々が集まっていた。左からは本物の赤、社会タンと、半分ぐらいアカである進歩新タンから、右では民族主義者(安重根義士に関する運動をしておられる方々も主導的に参加された)まで、それぞれ違う人々がそれぞれ違う理由で集まった。ある人は理由を後付けしたのではないかと言うが、それはウェブ上の意見に傾倒しすぎているように思える。実際に出て行って会ったいろんな者たちは、それぞれいろんな理由を持っていた。狂牛病牛肉が危険だと考える者たちの意見にも妥当性のある意見があった。

実は最後に書きたかった話はこの話だ。何ヶ月間のろうそく集会経験のうち最も強く記憶に焼き付いているのは、やはり留置場での経験だ。同じ日に別の留置場では断食籠城まで繰り広げ決然とした雰囲気が演出されたと聞くが、私たちの留置場は軽く、溌剌とした雰囲気だった。刑事の方々も何人かを除くと私たちに対して好意的だったことを思い出す。

一緒に連行された人々のスペクトラムが様々だったことが印象に残っている。大学生が何人かいて、新婚の姉さんたちが2人いて、御婆さんが一人おられた。みんな何らかの団体には所属していない人々だった。

取り調べの当時、刑事たちは一番運動圏っぽく見える二名(私を含む)に「お前、韓総連なのか?」「お前、総学生会に入っているか?」と聞いたが「違いますけど」と答えるしかなく、刑事と私たち、どちらも白けた。「なんとなく聞いてみたんだ…」私を含む学生たちは、主に「殴られるのを見るのがムカついて」出てきた。その中の独りは法大生だった。大学生6名のうち法大生が2名だった。

新婚の姉さんのうち一人は、もとからこの問題に関心があった姉さんだった。もう一人の姉さんの履歴がかなり変わっていた。ドイツから飛んできたドイツ教砲の姉さんだった。「誰かが殴られる写真」を見てムカついて韓国に飛んできたと言った。困ったことに、連行されたその日が帰国すると決めていた日だった。チケットを取り消すので忙しかった。その姉さんが連行されたという話にドイツ人の夫もムカついたという話が面白かった。「夫がドイツ人だって言うんだ!そしたら勘弁してくれるんじゃないか?」と言ったというが、当然そんなはずないでしょう。とにかくこの姉さんは解放されてからドイツに帰ってしまって、それから会っていない。会いたい人だ。

保母の仕事をしているという御婆さんのことも思い出す。実はそのお婆さんは連行者に含まれていなかったが、連行直前のあるカップルに代わって連行されたと言った。この御婆さんは、こじつけるなら特定団体所属だと言うことができるかもしれない。「天主教正義具現司祭団」のある神父様から洗礼を受けた平信徒の方だったから。この御婆さんは「政府が国民をだますのが嫌で」出てきたのだと仰った。それと「子供たちを殴って引きずっていくのを見るのが嫌だった」とも仰られた。留置場にいる間、神父様が訪れて本を差し入れてくださった。解放されたのち、集会の場所で何回か見かけたが、それからお会いしていない。この御婆さんにも会いたい。

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Blog主の戯言:そろそろ人の文章を訳すのにも疲れました。ていうかちゃんと訳せてないし…
自分のブログをいまさらやるにも、頭空っぽだから、何も書くことないぜ!
(ぼくもまさに、人が殴られるのがムカツクから出てった節だしwww
まあ、カッコよく言えば集会結社の自由を守るため←中二病乙)
ちなみに中二病という言葉は韓国ネットにも浸透してます
(別に意訳じゃないんですよ)はあ、それにしても疲れた…
人の文章を訳すのって疲れるんだよぉぉぉ
もう十分やったよね?そうだよね?

別の場所でお会いしましょう ←またこのパターンか!

…まあ今日疲れたのはコレのせいなんですがね…いい加減もうやめたい…本当誰得だよ!w
そんなわけで、たぶんサヨナラ、です?!(決めてませんがw)
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by no_kirai | 2010-05-15 23:08
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