キムデジュン元大統領がこの世を去った。ノムヒョン前大統領の逝去以降、民主化を代表していたもう一人の象徴的人物が歴史の彼方へと消えた。もちろんキム元大統領の死を勝手にノ前大統領の死と比べることは適切ではないが、とにかく政治を人物中心で思考する韓国社会の特性故、キム元大統領はノ前大統領と必然的に重なるしかないようだ。これは'正常国家'に向けた韓国市民社会のユートピア衝動が、国家の管理から離れさ迷っているせいでもあるが、同時に、87年体制とも呼べる韓国民主化運動の制度化を象徴的に具現している二人の人物がもはやここに存在しないという喪失感を表現していることでもある。 この喪失感は心理的に罪の意識を呼び寄せ、負債意識(負い目)として作動する。今まで韓国社会を主導した'政治'はこの負債意識と無関係ではなかったし、このような側面で二人の前職大統領の逝去は、今後の韓国社会の政治状況に重要な変数として働く可能性が高い。今回、葬礼の切磋をめぐって起きた国葬論乱はこのような事実の前触れだといえる。一見、些細なことのように見えるが、キム元大統領の葬礼が国葬として行われたことは重要な意味を持つ。そして衡平性論乱を終息させ、イミョンバク大統領が今回の決定で重要な役割を果たしたとの報道は、現政府を信頼しない者たちに欺瞞のように聞こえるだろうが、広い目で見ればかなり興味深い事件である。 DJ葬礼が国葬として行われた意味は このような決定は、究極的にイミョンバク政府も、民主主義の基礎を築いたキム元大統領の業績を認めるしかなかったという事実を暗示する。一部でイミョンバク政府を独裁政権、またはファシスト集団だと呼んでいるが、彼らが執権できた原因は、アイロニーなことにキム元大統領が築いた'切磋的民主主義'のおかげだった。"平和的政権交替"こそ、韓国社会の政治状況を一歩前進させ、切磋的民主主義の基礎を築くきっかけだったのだ。キムデジュン政府の出現は冷戦時代の終焉を意味しており、反攻イデオロギーの井戸の中に沈んでいた韓国という'島社会'を世界舞台にデビューさせる重要な役割を果たした。キム元大統領のノーベル章受賞は、まさにこの点を強調させることである。 冷戦時代がもたらしてくれた特権に安住しようとした、いわゆる守旧勢力らは、キム元大統領を"赤"色で塗ることに忙しく、非常識で見境のない一部のハンナラ党議員らも、私益のために彼のノーベル章受賞を貶すことに熱心だったが、このような偏狭で古風な世界観は、やがて押し寄せる金融資本主義的世界体制再編と市場主義の波高の前でまったく力を発揮できない状況だった。チョガプジェやジマンウォンは軍事政権下では特権を享受するはずだが、世界化が作り出した新たな経済構造にて、ホギョンヨン以下の道化に転落するしかなくなった。新しい状況にちゃんと適応できない守旧勢力への嘲弄は誰にでもできる趣味活動となり、金融資本主義の論理で再編されつつあった現実をしっかり捉えられなかったチョガプジェやジマンウォンのような者たちは、このすべての変化の原因を'アカ'のせいだとし熱論を振るうことが精一杯の対処だった。 DJが合理的保守主義者だったことを忘れるべきではない キム元大統領は近代的市民意識を持っていない韓国のブルジョア勢力にとって、喉に刺さった棘のような存在だった。彼の一代記が物語るように、キム元大統領は民族と人権という二つの範疇に忠実な政治人という意味で、唯一の'近代人'だった。いうなればキム元大統領という'個人'は一人の政治人という次元を超え、韓国社会が渇望する'先進国'の未来を代表する象徴性を持つといえる。彼の一代記が証明するように、キム元大統領はキリスト教的信仰から近代的倫理の経験を抽出した西欧近代市民の生を生き抜いた人物でもある。「神が与えたものであるゆえ、人権は超国家的なもの」という彼の発言や、死刑制廃止に積極的な政策を実施したこと、そしてあの当時は不毛の地に近かった文化政策の概念を政府機関に導入したことから確認できるように、いろんな部分で彼が率いた政府は、いわゆる先進国という指標で韓国社会に奇形的に育っていた'普遍常識'を本格的に制度化したといえる。(訳者の戯言:個人的には幼い頃から国が嫌いだったが「やっと制度が実情に追いついた」と思うことがあったのはこの頃からか。日本文化開放とか込みで) 一言でいうと彼こそが韓国社会に合理的保守の意味を刻印させ実践した人物であったことになる。彼の政府が新自由主義的改革を受容するしかなかったことは、このような保守主義に内在する限界のせいだったが、また一方で'民族'という範疇を媒介に、北韓(北朝鮮)を排除の対象ではなく世界体制の中で共存すべき'兄弟'として受容するようにしたという点において、キムデジュン政府は進歩勢力が一方的に批判するものと別の次元の新自由主義を実践したと見ることができる。しかし、キムデジュン政府がたしかに合理的保守主義に基づく右派政権だったにもかかわらず、冷戦勢力はこのすべてをキムデジュン個人の'アカ思想'による'左傾化'とした。この勢力らは冷戦体制において名誉と富を獲得した存在らで、自らの利権を守護するために少数の特殊な利害関係を擁護するためのイデオロギーの普遍化に全力を傾けた。"失われた10年"という修辞がこのような観点から誕生した。 '失われた10年'という妄想から脱することを しかし現実はそこまで甘くない。近代の普遍常識は、変化を受容できない古い勢力が消えることを'進歩'と呼んできた。これこそ'進化論'を体得した科学的世界観の核心だし、資本主義の市場原理もこの原理に似ている。資本主義の合理化が加速化すればするほど、進化の論理は古く病んだものたちを競争から淘汰させてしまうだろう。この競争でチョガプジェやジマンウォンは生き残れるだろうか?不可能だ。市場原理を離れた、進化という鉄の法則を超越する'特権'がないのなら、これらは生き残れないのだ。メディア法の通過が見せてくれるのがこの事実だ。金融地主会社法とメディア法は結局ひとつの結果を生むだろうけれど、実は数多くの葛藤を内包する緊張関係を表す。メディア法こそ、ただいま再編されつつある新たな世界経済体制にて、過去の冷戦イデオロギー商売を貫徹していた幾つかの巨大新聞社らが一時的にでも延命できる特権を与えることができるからだ。 イミョンバク大統領がキム元大統領の葬礼を国葬に決めたのは、国家がむしろ誰のものでもないという事実を認めたことでもある。少なくとも自らを民主主義の敵だと考えていないなら、イミョンバク大統領のすべきことは、"失われた10年"という妄想から一刻も早く離れ、キム元大統領が示した合理的保守主義のビジョンを受容することだ。キム元大統領の存在は、世界が認めた韓国の民主主義が、守旧勢力やブルジョアの業績ではないということを物語る。合理的保守主義を定着させることのできる、いわゆる'疎通'や'統合'は、この厳然とした事実を認め、受容するイミョンバク大統領の'決断'によって可能ではないかと思われる。これこそがイミョンバク大統領を'民主主義的進化'から淘汰されないようにしてくれる唯一の方策だ。生涯の最後に成功した大統領として評価されることを望むなら、生きたイミョンバク大統領は死んだキムデジュン元大統領のメッセージに耳を傾けるべきなのだ。 http://www.mediaus.co.kr/news/articleView.html?idxno=7732
by no_kirai
| 2009-09-04 04:11
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