キムデジュン元大統領は韓国で唯一、北韓(北朝鮮)問題についてアメリカに忠告ができる'政治家'だった。私からみれば、彼は韓国社会では珍しい'まともな保守'だった。彼は民族主義から出発したが、ファシズム政権により左派のアカの烙印を押され死の淵まで追いやられる。しかし彼は後日の執権後、新自由主義的経済政策を主導的に導入する役割を担うことになる。見方によっては彼こそが民族主義と新自由主義がどうやって遭遇できるかを見せる興味深い媒介者だった。'キムデジュン図書館'に展示されている遺品の中のアルビン・トフラーの<第3の波>はこのような事実を象徴的に見せてくれる。キムムンス京畿道知事はトフラーの本を読み労働運動から身を引いてハンナラ党へ入党したと告白したことがあるが、キムムンスと違いキムデジュン元大統領は新自由主義を受け入れながらも民族主義を諦めなかったと見ることができる。
彼が代弁した政治的理念は、韓国の市民社会を構成している中間階級の利害関係に忠実なものだった。統一政策は、実質的に冷戦イデオロギーを離れ、韓国社会が国際化できる基礎を築き、中間階級の市民意識を普遍常識の次元へ進入させるきっかけを設けたといえる。生前の最後に彼が言及した'民主主義の後退'は、まさにこのような市民意識と国家管理に無能なイミョンバク政府の間で発生する葛藤が作り出す徴候だといえる。キムデジュン前大統領の'自然死'はノムヒョン前大統領の死と重なり中間階級のユートピア主義を内包した想像共同体の祈りへと置換される。まるで彼もイミョンバク政権という'悪の集団'に虐げられ突然世を去ったように見られるのだ。このような現象は単なる妄想の産物というより、市民社会という状況が国家という固定点に出会えなかったために発生すると見るべきだ。つまり、韓国で市民社会は相変わらず国家と対立中ではあるが、この国家がもはや実態的な誰かのものではないという事実によって問題は浮き彫りにされる。この明白な葛藤を縫いたいがため、今私たちは神話を欲しているのかもしれない。 - 8.22 이택광教授のブログから
by no_kirai
| 2009-09-04 03:16
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