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言論の問題ではない。私たちすべての問題だ。

(キムジンヒョク EBS PDの書いた記事から)

なぜ今になって気になったのだろう?永訣式を見終え、インターネットに入り「包括的賄賂罪」と打って検索をしてみた。探してみると目を疑う事実がわかる。包括的賄賂罪は刑法上に存在する犯罪ではないという。

「じゃあ、どうして刑法上に存在もしない法を持って、処罰をしようとしたんだろう?」という疑問の次に「どうして私はこんなことすら知らなかったんだろう?」と不思議に思った。一応、放送社のPDであり、いわゆる'知識'なんたらプログラムを作った私が、実は本当に無知だったんだなと、反省の念がわいた。とにかく、気になってもう少し検索をしてみると、包括的賄賂罪というのは法院の'判例'に根拠したもので、そのきっかけがチョンドゥホァン、ノテウ前大統領の賄賂授受嫌疑を処罰するために決めたものだと。

「チョンドゥホァン、ノテウ前大統領とノムヒョン前大統領を、同じ判例を持って処罰するわけだ?」

ま、それは置いておこう。ところで、また知らなかったことがひとつわかる。包括的賄賂罪が成立するためには、'直接'金をもらわなければならないという。

「ノムヒョン前大統領は直接金を受け取ったわけではないだろ?どういうことだ?」

もう少し調べると、そのためノムヒョン前大統領を、一種の包括的賄賂罪の「共犯」に見なしたのだという。家族が金をもらったので、当然知っていただろうという'常識'と'情況'に立脚し、'共犯'だと見なすのが妥当だと考えられるため、それで知っていただろうと推測し、証拠を探したが、証拠は出なかったものの、しかしながら'常識'と'情況'に立脚して観ると、当然、家族が受け取ったなら知るしかないではないか?とにかく当然知っているはずなので、したがって包括的賄賂罪を適用できるが、これは包括的賄賂罪の成立条件である直接金を受け取ったケースではないが、とにかく家族が受け取ったので当然知っているだろうし、しかし証拠が出ないものの、それでも包括的、ふう…。






ここまでの検索だけで相当な体力を消耗したが、それでもついでにもうひとつ検索をしてみた。検索ワードは'グォンヤンスク、田のあぜ、時計'

私の知る限りはグォンヤンスク女子がパクヨンチャ会長から1億ウォンの価値がある時計2つを受け取り、田のあぜに捨てたという。ところで検索をしてみると、それも違っていた。

ノムヒョン前大統領の釜山商校同窓の証言によると、時計を渡したのはグォンヤンスク女子ではなくノゴンピョン氏夫婦だったという。'いや、ならば受け取ってもいない時計を、田のあぜに捨てたという話をどうやって報道できる?' それが不思議で検索を進めてみると、ノゴンピョン氏夫人との通話で、グォンヤンスク女子が受け取らないと話していた途中'ならば田のあぜに捨ててしまったら'と話したという。

また疑問が浮かぶ。何故私は何の疑いもなく、グォンヤンスク女子が1億の時計2つを田のあぜに捨てたと知っているのだろうか?あ、私はもはやほぼ絶望する。どこかで'知識'なんたらというプログラムを演出したと言い出せる気がしない。これはすべて私の無知をさらけ出すことではないか?あ、これは私の間違いなのだ。

もっと早く、インターネットで数多くの記事をチェックし、キーワードをいちいち検索して調べ、文章の脈絡の裏を読み、いや、それでは足りない。これが刑法に根拠する罪なのか、判例に根拠する罪なのか、判例ならどんな判例があり、それぞれの判例にはどのような違いがあるのか、などなどを事前にしっかり理解してから記事を読まなかった、私の至らなさと手落ちのせいである。決してこれは言論の間違いではないのだ!

私たちは幼い頃、誰でも'写し書き'をする。先生が一字ずつ読み上げてくれれば、しっかり一字ずつきれいな字でノートに記す。そうすれば、あとでノートを集めて、先生が読んでくれたとおりにちゃんと書いていれば、100点という赤文字と一緒に'よくできました'というハンコを圧してくれるのだ。

'言論、よくできました。'
by no_kirai | 2009-06-06 08:35 | 朝中東と韓国言論
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