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2009年のキャンドル集会は成功できない



すべてはイミョンバクのせいか?


ろうそくは消えた。ずっと昔に。もはやそれを否定できる人はいないと思える。「鶏バスツアー」や「昭博山城」などのユーモアを作り出したその熱気は消え、その場に残ったのは、恐ろしい車が疾走する冷たいアスファルトだけだ。街は再び日常へ席を譲り、人々はすべて自分の居場所へと戻った。この事件の終結に対するいろんな後日談が、1周年を迎えようとする頃に雲ができるように浮かび上がるのを目撃するのも当たり前だ。それだけろうそくは、結果はどうであれ、もう一度振り返ってみるべき意味を刻んでおいたといえる。

ろうそくと関連してさまざまな意見が出ており、その意義を新しくしようとする試みがあったが、ほとんどがろうそくを「失敗」だと見る立場が大勢を埋めるようだ。もちろん、ろうそくは戻ってくるという「予言」もなくはないが、このような言葉は「約束」というより「期待」に近いものだ。約束する者のいない期待感は、本当をいうと対象のない欲望に等しい。一言でいうと意味がない。そして、たとえこのような期待の予言を充足させるとしても、それは正しい「政治的な企画」というには無理がある。

重要なのはろうそくの出現過程だ。運動としてのろうそくは失敗したが、象徴としてのろうそくはいろんなメッセージを伝えていると私は考える。ろうそくは韓国社会を構成する政治の性格を露骨的に表す事件だった。ろうそくが前面化する当時、進歩的知識人たちは韓国社会の保守化と脱政治化の雰囲気を懸念していた。しかし、このような「常識的合意」を打ち破って出没したのがろうそくだった。今日の今、振り返ると、ろうそくは利己的欲望の実現だったが、脱政治化を嘆いていた知識人たちにとって、これは政治の帰還のように見えたといえる。もちろん、進歩的知識人にとって、帰ってくるべき政治というのは「政治運動」であり究極的には「代案」だったが、ろうそくの様相はこのような進歩的価値基準には当てはまらなかったように思える。

実のところ、脱政治化の背後にあるのは、脱イデオロギーの時代だといえるが、ろうそくはこの時代の正体についての明確は例示を見せてくれたといえる。いったい私たちが住んでいる世界がどのような場所なのかについての重要な覚醒をろうそくは提供したのだ。私たちをなしている環境についての見慣れない風景を見せてくれたということ、そしてその風景が実像は私たちの内面の別の姿にすぎないということを表したという点で、ろうそくは今まで発生した政治的事件らとは違う何かを抱いていたのかもしれない。もちろん、この状況は韓国社会で一人でに突出したものではない。去年の牛肉波紋で突出したというより、ずっと長期的で構造的な変形がろうそくの波を持ってきたといおう。つまり、このすべてを「イミョンバク」のせいだと見るのは難しいのだ。

フランスの場合も状況は似ている。2005年のパリ暴動は、郊外の移民者の住居地を中心に発生した暴力事態で、ろうそくよりずっと過激で、対立戦線が鮮明だったが、同じく、なんの政治的企画や成果を導き出さないまま消滅してしまった。Slavoj Zizek はこの状況を政治的行動と違う「恨みの身振り」と見たが、ろうそくもそれとかけ離れているとはいえないだろう。フランス暴動は自分たちに不平等を教養する体制そのものへの抵抗や反対だったというより、その体制の一員として受け入れてくれることを要求する行為にすぎなかった。このような行為は共同体の構成員として社会という全体に寄与する自分たちの存在を認めてもらおうとする欲望の発露でもあるのだ。したがって、ろうそくで暴力と非暴力をめぐる論議もたいした意味を持っているようには思えない。

ろうそくが非暴力に留まったために、政治的になれなかったというのは、あまりにも純真な考えだ。フランス暴動の場合のように、たとえ暴力を伴う行為だったとしても、十分に脱政治的の可能性がある。ろうそくは最初から脱政治的な「劇場」だった。ろうそくが掲げた「反MB」はイデオロギーだったというより記号にすぎなかった。内容のない消費の形式だったという意味でもある。ろうそくの市民たちに「イミョンバク反対」というフレーズは共同体の一員として自分の役割を果たす自分のアイデンティティを確かめようとする祭りの音楽だったことになる。興味深いことに、ろうそくを灯して「市民」が求めたことは「疎通」だった。適切な疎通が行われない責任をイミョンバク政府の無能だと認識することで、ろうそくの市民たちは道徳的優越感と自肯心を獲得することができた。

したがってすべてを「イミョンバクのせい」にする論理は、見た目と違ってまったく政治的なものではない。イミョンバク政府の問題点は「平和的」でなかったために発生した。もちろん、ここで言及する「平和的」でなかったというのはイミョンバク政府が権威的で暴力的だったという意味ではない。政府がろうそくを持つ市民の主張に耳を傾け、その真意を汲み、共同体の安定を保障することをしなかったのが問題なのだ。いうなれば、政府はより多い「権力」を持つ必要があり、それを使って市民の権利を適切に維持させる役割をすべきだという考えが前提となっている。これこそがろうそくの市民たちが繰り返し要求した「疎通」の意味なのではないか?政府が疎通する能力を持っていないという認識は、国家の安全と市民の安定をはかる権力の作用をまともに遂行できないでいる考えと表裏一体である。

10代たちが「今、自律学習をしてないといけないのに、政府がちゃんとしていないから、こんなに幼い私たちが出てきた」と発言したことや、「もともと政治なんかに興味はなかったが、政府があまりにもアレなので集会に参加した」という20代の会社員の女性など、実は強力な政府の下で、さまざまな自分の権利を守る理想的共同体を渇望したといえるのだ。このような意味で、真に自分の権利を主張できる者は、自分の権利がまったくないものというより、ある程度、その権利を持つ者にかぎられる。私たちが脱政治だと呼ぶ現象は、このように、一定に自分の権利を持つ者たちが見せる、無気力なイデオロギーなのだ。このイデオロギーを発生させる焼失点に、「すべてがイミョンバクのせい」だという発火がうごめいている。

結局、すべての問題をイミョンバクから出発させる論理は、イミョンバクから解決策を導き出せるという考えを覆したものにすぎない。逆説的に、イミョンバク反対とはより強力な(またはより効率的な)イミョンバクへの渇望でもあるのだ。もちろん、ここで強力なイミョンバクの意味は、共同体の構成員に自分の権利と誇りを取り戻してあげられる存在への念願でもある。しかし、このようなメシア的存在は現実的に不可能だ。現実性のない企画から、脱政治性と無気力なイデオロギーが発生する。この状況は政治的目的意識を抱いてくれることのできる世界の消滅を意味するが、このような世界の不在は大衆的抵抗を無意味にさせてしまう原因でもある。つまり、先取すべき政治的目的より、共同体構成員の自尊心という価値の問題が中心におかれる。

もちろん、このような条件は左右派どちらにも危機的状況だ。ジマンウォンの告白のように、右派も冷戦時代を懐かしんでいる。そのときは少なくともひとつの「世界」があった。右派は「アカ」を取り消せば先年王国を築けると考えた。その価値の評価はおいといて、鮮明な政治的企画が可能だったということだ。しかし状況はまったく変わってしまった。「生活」というイデオロギーが社会全体をカビのように覆い尽くした。このカビはそもそも世界の存在そのものを否定する理念を食べて育った。イデオロギー的な存在基盤そのものを崩してしまう自己解体的イデオロギーなわけだ。すべてをイミョンバクのせいにして燃え盛ったろうそくは「イミョンバクなものと、イミョンバクでないもの」という分法を生産できたが、それにより、アイロニーなことに、具体的な政治的対象を喪失する結果を生んだ。すべてをイミョンバクのせいにすることは、そのためまったく政治的な戦略だとはいえない。そうやってロウソクは自分の幻想に陶酔したナルシスのやまびこだったのかも知れない。


<先月の京郷新聞「ろうそく集会と韓国進歩の課題」討論会からの抜粋↓>

ノホェチャン(進歩新党代表):発題に共感している。ろうそくを何と規定するか。これが核心主題ではないが、言及があったので、申し上げたい。発題者の方は、初の反新自由主義大衆運動だというが、ろうそくに反新自由主義的な要素があったのは事実だが、その運動そのものを反新自由主義の流れだと見ていいのかは疑問に思える。いろんな要求が出てきたが、狂牛病牛肉の輸入反対が主になっていた。狂牛病牛肉には反対するが韓米FTAには賛成する人々も多かった。

それで、下手をすると過剰解釈をする可能性があると思う。ろうそくの現場で考えてみた。なぜ、ここまで感動的で熱い運動が、幻想的につづくのか。きっかけになり、主導してくれた主題が狂牛病牛肉の問題だったなら、また一方では、政権交代後、意識的、無意識的に作用したものがある。いわゆる87年体制がほぼ幕を閉じ、よりマシな場所へと進むのではなく、逆に反動的に後退したことで、それへの反発が基調をなしていたように思えるのだ。

去年の世論調査を見ると、イミョンバク政府への支持度が9%ほどまで落ちた時期があった。にもかかわらず民主党などの支持は高まっていない。そんなところを観ると、自然発生的大衆運動に大きな意味を見出してはいけない。3.1運動が終わってから、第1の3.1運動のあと、第2の3.1運動を待ったところで、来てはいない。しかしながら、同じ運動は始まってないが、いろんな領域で花を咲かせ、影響を与えたのだ。

人間の努力でまたロウソクが再現することを願うのは論理的矛盾になる。むしろ、ろうそくで現れた様相などを、国民がどう見つめているかを私たちが評価し、その中で私たちの運動が進むべき道を直すことが必要でないかと思う…

国民の皆様。もう一度ろうそくを起こしてください…などと考えるのはムシのいいことだ。国民が動かなくてもいいように、また、私たちが攻め込みながら、国民がついてこれるように、どうすべきかを悩まなくてはならない。

私は、執権勢力を含め、今まで10年間の政権を担った勢力などが、既存の方式ではこれを教科書に入れることができないだろうと思う。多くの人々が、イハンヨルが誰なのかを知らない。87年におきたことを知らない。教科書の記述を読んだだけの人々が20代になり、そろそろ30代になる。386はもうすぐ還暦になるのだ。このような状況で、昔の話ばかりしながら進むことはできない。

光州抗争のせいで労働運動を始めた人が多い。私もその一人だった。そのとき、私たちが夢見たことの中に、「光州抗争のようにまた起き上がってくれないかな」というものもあった。しかし、光州抗争のように起き上がることはなく、6月抗争が起きた。ろうそくも同じだ。国民が起き上がるのを待つのではなく、運動する人々がどうすべきかを悩まなければならない。

民族のことを話してくださったが、民族問題が私たちの国において重要だという考えには反対しない。しかし、これを新しい世代にどうやって理解させるかが問題になる。新しいコンテンツが出てこないかぎり、運動とロウソクの間の距離感を詰めることは難しいだろう。

by no_kirai | 2009-05-05 00:58 | ろうそく集会(デモ/文化祭)
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