こんなところにこなたがΣ↓ 午後4時。ソウル駅広場は警察が占拠していた。集会は不可能な状況だった。警察の隙間からはいったい何個なのか数えられないほどのカメラが突き出され、市民の顔を堂々と撮っており、ソウル駅を行き来する市民たちは目をまん丸にしてささやいた。 「なになに、軍隊でも来てるの」 軍隊に誤解されても不思議ではない状況だった。それを誤解といっていいのかもわからない。事実上、彼らは占領軍だった。 「これは戒厳じゃないか」 集会に参加するために来た人々は、実はある程度(これほどとは思っていなかったが)予想していた状況であり、記者や電鉄を利用するために行き来していた市民たちも、慣れたように無反応だった。もはや驚くのは外国人観光客ぐらいだった。 正確な経過はわからないが、それから時間が経って、1番出口に若干隙間ができ、そこにて簡略に集会が行われた。それから「青渓広場でろうそくを灯そう」という司会者の提案によって、それぞれ青渓広場へと向かった。 バスに乗って到着した青渓広場は車の壁で囲まれ、占領軍が軍靴の音を鳴らしながら進軍していた。どこにも集会が可能な場所はなかった。「人が集まって話し合うこと」自体を彼らは防ごうとしたのだ。 方法はひとつしかなかった。ハイソウルフェスティバルのパレード行列を追っていくこと。私たちは旗を広げ、ピケットを掲げ、ろうそくをもってパレードの行列を追って動いた。 長くは持たなかった。警察を舐めすぎていたのだ。すぐさま警察の攻撃がはじまり、群衆は警察から逃げ、ハイソウルフェスティバル開幕式の会場へと押し寄せた。 イベントの邪魔になることを心配する余裕はなかった。 再開発のため龍山で撤去民が死んでから半年が経とうとしているが、まだ葬儀すら行えずにいる。 葬儀はおろか、追悼式すらも警察に荒らされ、影幀は壊され、遺族は警察に連れ去られるか暴行を受けた。 龍山虐殺の主犯であるソウル市が行う祭りのために、自らを犠牲にする義理などはなかったのだ。 閑散としていた広場はすぐに群衆で埋め尽くされた。 空を旗が覆いつくし、ろうそくが地を埋めた。 この時点で、観客にとってハイソウルフェスティバルはすでに中止されたといえる。 観客らはイベント場から離れるか、後ろに下がり旗を見物し始めた。 舞台では司会者が知らんぶりをして、まるで観客が応えているように演技していた。 たしかに、プロは飾りではない。 客席では開幕式がすでに幕を閉じたが、 舞台では相変わらず「観客の声援の中で無事に、安全に」開幕式が行われていた。 12月31日のあれの、悲しい再現だった。 先頭に立っていた群衆、市民、学生、市民団体と政治団体らが、部隊の上に上がり始めた。 すでに計画されたことでも、誰かが主張したことでもなかった。 ただ、その状況では、それが自然だった。 正否を討論できないほど、そして「そうるしかなかった」という言い訳すらいらないほど、 「ただ、そうなった」 舞台を旗とピケットとろうおくが埋め、 舞台の上の群衆と客席の群衆が歓呼しあっていた。 舞台の照明が切られ、イベント関係者が震える声で、スピーカーを通じて開幕式の中断を知らせた。 イベント中断の知らせに群衆は歓呼した。 たいしたことではないが、イミョンバク市長在任時代から、恒例の行事として続いたイベントを中断させたことは、今までの1年間のことからは見つけられない、目に見える勝利だったのだ。 すぐに警察が大勢押し寄せ、言葉どおりに「無言の手当たりしだい連行」が始まった。 抵抗をしようがしまいが、なんの基準もなく、「連行しやすい人から」連行されたり暴行を受けた。 一番興奮したのは記者たちだった。 二日連続で進んだ記者たちへの暴行に、記者たちは文字通り「怒っている」状態で、 警察と記者の対峙がつづいた。 支庁広場は内外が警察で埋め尽くされ、 警察の記者の喧嘩を見ていた私たちは、ミョンドンへ移った。 ミョンドンに三々五々集まり始めたが、 旗は掲げられなかった。 くる途中に、旗を警察に取られてしまったという。 旗を所有したり持っていてはいけないといういかなる法条項もない。 しばらく右往左往していたところに、学生たちが宣伝をはじめ、散らばっていた群衆が集まった。 マイクもアンプもなく、生の声で、学生たちにより集会が進められ、 しばらくすると、警察が押し寄せてきた。 ミョンドンを黒く塗りつぶす警察は、階段に座っているか建物の扉の前にいた市民だけでなく、 デパートの中にまで進撃し、無差別的な暴力を振るった。 そうやって数十名が連行され、殴り倒されてから、警察はミョンドンを占拠したあとに、巍然と放送を始めた。 「市民の皆さん、これ以上、違法集会を行えば、公権力を投入して強制解散いたします。私たち警察は、決して暴力を使用したくはありません。」 解散か、どこに解散すればいいのか。 前からは棍棒と盾が踊っており、後ろの建物は、おびえた店主らが扉に鍵を締めてやり過ごそうとしている。 どこに解散すべきか。 (下記は別の人のコメントからです) 南山にある野外礼式場で開かれた結婚式に参加していた帰り、バスに乗って支庁駅で降りたらこのようなイベント(ハイソウルフェスティバルにつづく集会)がありました。それで集会の隊列に参加しました。当初、集会が予定されていたソウル駅の広場が完全に封鎖されたといわれ、次の予定地の青渓広場でやろうとしたらそこも防がれたといわれ…私はただの飛び乗りなので詳しくは知りませんが、デモ法に警察庁長級の権限者が「集会の危険性」を理由にして集会をしていいか、悪いのを決定しているようです。たぶんそのような理由で集会が許可されなかったのではないかと。そのような権限を持つ者の判断と決定を信頼できないデモ隊が、たぶん「解散命令」を受け入れずに街を行進したのでしょう。(ここからは私も参加)予定されていた広場が警察により完全に閉じられ、デモ隊は青渓広場と支庁駅の間をぐるぐるするしかなくなりました。雰囲気は暴力的だったということはありません。私は、最近はあまり参加できないでいますが、集会とデモが、今でも社会の健康性を維持するのに重要な役割を担っていると考えているため参加しています。(私がイミョンバク政権の政策に反対しているということもあります)<中略>私は、幸い、支庁で祝祭があったため、警察のデモ鎮圧が荒々しさが少しは和らいだのだろうと思います。(昨日、人をあれだけ連行していったのは、そもそも荒々しいデモ鎮圧に思えます。フェスティバルがあったから幸いでした)ここまでが、私が経験した昨日の現場であり、そこで感じたことでした。 たしかなことは、デモをするなと話したことに応じなかったため、警察首脳部(イミョンバク政権の首脳部が発願したものでしょうね)不敬罪を適用したのではないかと。「ほかの違法デモよりより迅速に、より多い人を連行しようとしましたので。」どんなに単純なことにも両面があるのですが…社会のもっとも熱いイシューにはどれほど複雑な面が含まれているのでしょう? 警察が支庁から圧迫していったために祭りの会場に集まるしかなくなったようですが、その時点でイベントは中止となり、それからデモ隊が故意的に舞台に上がったのはたしかなようです。全部警察の思い通りじゃないかー別に勝利でもなんでもねえや。
by no_kirai
| 2009-05-04 14:39
| ろうそく集会(デモ/文化祭)
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