タグ:金大中 ( 3 ) タグの人気記事

金大中大統領インタビュー(2009.07.17)

*キムデジュン元大統領は、入院3日前の7月10日金曜日午前、私邸の応接室でイギリスBBCTVのJohn Sudworthソウル特派員と約1時間ほど放送対談を行っています。(BBCの韓半島特集に含まれて放映される)以下は対談全文。

特派員:現在の韓半島(朝鮮半島)の状況と、現在の政策についての大統領の見解についてお聞きしたいと思います。

金大中:とても心配しています。去る10年の間、南北の緊張が大きく緩和され、多くの往来のおかげで民族大結合の可能性が大きくなりましたが、今はその傾向を逆行しているため、とても心配です。

特派員:私が韓国に到着した当時、ノムヒョン大統領の平壌訪問が成し遂げられ、楽観論が膨らんでいました。合議文の署名もありました。当時の言論人らは、南北和解、協力の重大な何かが成し遂げられる可能性があると話していました。ところで状況がこうも早く反転したことに驚くばかりです。

金大中:私が2000年に平壌に行ってから10年間、南北関係は和解協力的方向へと進みました。それで南北関係が不幸な方向へは向かわないだろうと考えました。

和解協力の新時代を開いて行けるだろうと期待しました。ノ大統領の退任後、事態が急変し、今は第2の冷戦時代が来たのではないかと思われ、とても悲しい。どうしてこうもいきなり変われるのか?まるで夢を見ているような気さえします。心の中の心配事は数知れません。

More
[PR]
by no_kirai | 2009-09-08 01:16

DJ国葬以降のイミョンバク大統領


キムデジュン元大統領がこの世を去った。ノムヒョン前大統領の逝去以降、民主化を代表していたもう一人の象徴的人物が歴史の彼方へと消えた。もちろんキム元大統領の死を勝手にノ前大統領の死と比べることは適切ではないが、とにかく政治を人物中心で思考する韓国社会の特性故、キム元大統領はノ前大統領と必然的に重なるしかないようだ。これは'正常国家'に向けた韓国市民社会のユートピア衝動が、国家の管理から離れさ迷っているせいでもあるが、同時に、87年体制とも呼べる韓国民主化運動の制度化を象徴的に具現している二人の人物がもはやここに存在しないという喪失感を表現していることでもある。

この喪失感は心理的に罪の意識を呼び寄せ、負債意識(負い目)として作動する。今まで韓国社会を主導した'政治'はこの負債意識と無関係ではなかったし、このような側面で二人の前職大統領の逝去は、今後の韓国社会の政治状況に重要な変数として働く可能性が高い。今回、葬礼の切磋をめぐって起きた国葬論乱はこのような事実の前触れだといえる。一見、些細なことのように見えるが、キム元大統領の葬礼が国葬として行われたことは重要な意味を持つ。そして衡平性論乱を終息させ、イミョンバク大統領が今回の決定で重要な役割を果たしたとの報道は、現政府を信頼しない者たちに欺瞞のように聞こえるだろうが、広い目で見ればかなり興味深い事件である。

More
[PR]
by no_kirai | 2009-09-04 04:11

神話はどうやって作られるか

キムデジュン元大統領は韓国で唯一、北韓(北朝鮮)問題についてアメリカに忠告ができる'政治家'だった。私からみれば、彼は韓国社会では珍しい'まともな保守'だった。彼は民族主義から出発したが、ファシズム政権により左派のアカの烙印を押され死の淵まで追いやられる。しかし彼は後日の執権後、新自由主義的経済政策を主導的に導入する役割を担うことになる。見方によっては彼こそが民族主義と新自由主義がどうやって遭遇できるかを見せる興味深い媒介者だった。'キムデジュン図書館'に展示されている遺品の中のアルビン・トフラーの<第3の波>はこのような事実を象徴的に見せてくれる。キムムンス京畿道知事はトフラーの本を読み労働運動から身を引いてハンナラ党へ入党したと告白したことがあるが、キムムンスと違いキムデジュン元大統領は新自由主義を受け入れながらも民族主義を諦めなかったと見ることができる。

彼が代弁した政治的理念は、韓国の市民社会を構成している中間階級の利害関係に忠実なものだった。統一政策は、実質的に冷戦イデオロギーを離れ、韓国社会が国際化できる基礎を築き、中間階級の市民意識を普遍常識の次元へ進入させるきっかけを設けたといえる。生前の最後に彼が言及した'民主主義の後退'は、まさにこのような市民意識と国家管理に無能なイミョンバク政府の間で発生する葛藤が作り出す徴候だといえる。キムデジュン前大統領の'自然死'はノムヒョン前大統領の死と重なり中間階級のユートピア主義を内包した想像共同体の祈りへと置換される。まるで彼もイミョンバク政権という'悪の集団'に虐げられ突然世を去ったように見られるのだ。このような現象は単なる妄想の産物というより、市民社会という状況が国家という固定点に出会えなかったために発生すると見るべきだ。つまり、韓国で市民社会は相変わらず国家と対立中ではあるが、この国家がもはや実態的な誰かのものではないという事実によって問題は浮き彫りにされる。この明白な葛藤を縫いたいがため、今私たちは神話を欲しているのかもしれない。

- 8.22 이택광教授のブログから
[PR]
by no_kirai | 2009-09-04 03:16