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ロウソクの以降の展望と、立場の整理

私は青渓広場に閉じ込められ、ろうそくを手にとって歌を歌った文化祭に何回か出たことがあります。そして終わってから友達と一緒に「ここで包囲されてマスターベーションをしたところで何になる?」と挫折して家に帰ったことがあります。そして5月24日。家に帰る途中、市民達が街頭に出てきたという話を聞き、私も飛び出していきました。

そして3ヶ月。ペンタポートロックフェスティバルを見に行った7月の最後の週を除くと、飽きるほど集会に参加しています。金曜の夕方に出て月曜の夜明けに帰ったりもし、消火器と水大砲にびしょ濡れになって帰ったこともあります。そして一緒にいた市民達と論争しました。

「私達はどこへ向かうべきか?」
「私達はなにをすべきなのか?」












ろうそくはどう進化してきたか


ろうそくは今まで3回ほど大きな変化を経てきました。一つは5月2日'思ってもいなかった'誕生から、5月24日の街頭行進及びそれから続いた強制鎮圧、そして6月初頭を基点に光化門の車壁(または明博山城)をめぐって行われた祝祭文化-実践方法及び論争の数々。それから暫く勢いを失った状態で市民団体が指名手配され、宗教界の介入によって暫く平穏を取り戻した期間まで。私が見てきたろうそくの進化方向を要約すると次のとおりです。

議題拡張型への進化
: ろうそくは狂牛病という単一議題で始まり、民営化反対、大運河反対、共営放送掌握反対、インターネット検閲反対など多様な議題を包括する方法への進化を成し遂げました。この背景には'政府の押し通し'に対する反感が同一に張られてはいますが、私は個人的にここまで違う議題を持続的に包括して広めた集会を見たことがありません。これはロウソクが単純な'抗議集会'ではない、一種のシステムやネットワークとして機能したからです。

自律行動への進化
: 予備軍部隊、市民記者団、医療奉仕団、キムパプ部隊、アゴラ本の発刊、キャンペーンの提案及び市民プリントの配布などなど - ろうそくを持った市民達は自分が勤めるべき役割を自ら探して動きました。命令ではない同意、組織でない提案を通じて成し遂げられたこのような自律ネットワークは、ロウソクが100日以上をも消えないことに大きな力となりました。

コミュニティへの進化
: ろうそくがずっと続くためには'組織'を作るべきだという話が出ています。しかしろうそくは旧時代的組織(上部下達形)ではない、江南アゴラ、銅雀区ろうそくの集まり、10代連合などなどのインターネットを基盤としたコミュニティへ進化を成し遂げました。組織が単一な目的のために存在するなら、コミュニティは一つの目的のために集まっても、集まった人々の'一緒に過ごす日常'がより重要に扱われる場所です。一緒にご飯を食べ、オフ会をし、ボランティアをし、映画を見に行く、そのような日常が。

要約するとロウソクは'国民の同意に基盤しない'、'政権の一方的統治行為'に対する抵抗のために集まった人々が、'市民コミュニティ(またはネットワーク)'へと進化する過程でした。

ろうそくはこれまでの大韓民国歴史で1度も見られなかった新しい抵抗を開拓しました。しかし宗教界が消えたとたん行われた警察の強硬鎮圧の再天命及び光化門 - 市庁の完全封鎖、多数の連行者を発生させた一貫した強攻策により今はそろそろ違う方向への転換を模索するべき時期が来たのも事実です。

ならば、どんな方向へ、どんな方法へと模索するのが賢明でしょうか?



8月15日、集中ロウソク文化祭を最後に、小康状態に入るべきです。

いつからか戸惑うしかなかったことは、何らかの戦略や戦術が話されていない状態で、とにかく街頭行進とかとにかく街頭闘争を要求する方々がいたという事実です。何らかの行動をすることに制限をかけたいつもりはありません。しかし'そうすべき理由'がない状態で'とにかく街へ'を主張することはとても危険です。

8月15日以降、対策委員会の提案を受け入れ、ロウソクは暫く小康状態に入るべきです。もちろん、私が消せと話してもロウソクが消えることはないでしょう。しかし狂牛病関連事案はもう日常からの実践へと移りました。今戦うべき場所は自分の隣人との生活の現場、まさにそこです。

だからといってKBSやMBCの前のロウソクが消えることを望むわけではありません。そこはこれ以上狂牛病ではない、言論弾圧に対するロウソクです。当然、それはそのまま行きます。キリュン電子を含め、ロウソクが灯されるべき場所は多いです。そしてこれからも何らかの良くない出来事が起きれば、きっとロウソクは再び燃えるようになるはずです。

次に再びロウソクが燃えるとき、ロウソクは今よりずっと進化していなければいけません。ロウソクは単純に見た目を話すことではなく、もはや市民達の抵抗ネットワークへ、一つのシステムで存在し続けるべきです。事故が起こるたびにロウソクを持って出て行くしかない社会はとても不幸な社会です。しかし、政治をする人々が、自分達が間違えるといつでもロウソクが再び燃えるということを常に念頭に置き行動するようにしなければいけません。



今、隣の人の電話番号を有効なものにしよう

ならば、ロウソクが暫く小康状態にいる間、私達は何をすべきでしょうか?特にありません。楽しく過ごせばいいのです。しかし1人ではなく、他の誰かと手を取り合ってそうすべきです。はい、今すぐ隣の人の電話番号を知っておきましょう。私達と一緒に考える人々に、いつでも助けを求められる電話番号が、メッセンジャーアドレスが、つまり私達のネットワークです。

単刀直入に話しましょう。ロウソクを最初に灯すことになったのも、コンゾンテク候補が教育監として当選したのも、まさにその1:1コミュニケーションの力でした。アゴラやブロガーの力ではなかったという話です。学生の間で滝のように広まっていった携帯メールが5月2日の奇跡を生み、江南の学父母の間で選挙当日に何通ずつかけていた電話がコンゾンテク候補をあっけなく当選させました。

無作為の人々に話すことはそれほど大きな力を持ちません。真に怖いのは私が持っている携帯のアドレス帳に入っている人々です。つまり、今はその人々の電話番号を有効なものにするときです。私と一緒にいる人々、一緒に食事をし、映画を見、討論をする人々のネットワークを作る時間が。

たぶんインターネットコミュニティはそれを可能とする、より多い企画が必要かもしれません。ロウソクを超えて、日常を一緒に過ごすことを可能にする企画が。オフ会はどうするのか。新入会員はどう募集するかなどの- まあ、多くの方々には既に慣れたことでしょうけど。

断言しますが、それが可能であれば、26ヵ月後の選挙の様相はとてつもなく変わっているはずです。(もちろん、選挙に勝ったといって世の中がすぐに変わると信じてはいません。そもそも何かが一気に変わることを信じていません。ただし、より悪くすることは避けられると考えます。)



理由と回答を用意しよう

そして今は、一つ一つ、ゆっくり質問し、回答を準備すべきです。実のところ今回、ロウソクが灯されている間、私達は知らないことが多すぎました。警察に連れて行かれるとき私の権利は何なのか、集会の自由とは/主権在民とは果たして何なのか、警察が無闇に公権力を投入して市民を暴行することが正当なことなのか、インターネット検閲をすることは正当なことなのか…私達は違うようだ-と考えますが、彼らは何をしても'私のすることは正しい'という主張だけを繰り返し話しています。

このような質問たちにどう返答すればいいのでしょう?詳しく悩み、研究しなければいけません。もしかするとこれはブロガーとアゴラの役割となるでしょう。インターネット検閲がなぜいけないのか、市民達を殴ったり理由なく連行することがなぜいけないのか、共営放送はなぜ中立性を守るべきなのか…'主張'するばかりではなく、具体的な理由を述べられ、それについての合意を作っていくべきです。警察に関わる問題だけではなく、なぜ非暴力であるべきか、インターネットに文章を書く際はどのような礼儀を備えるのがいいのか…などなどの問題も含めての話です。

本当に、あまりにも知らずにいました。これは私自らのバカらしさに対する率直な告白です。そして各々の問題について、具体的に抗議し、私達自身の権利を'具体的に守る'方法を作っていかねばなりません。漠然とした反対や主張は意味がありません。現実で実行可能な政策、作られるべき切磋として表れるべきです。

それに加えて、(果敢に民主党まで含めて)進歩政党、民主労働党、民主党などの政党はこれから死ぬほど忙しくなるべきです。代案政策を作ることだけでなく、限りなく討論し、講演を行い、人々と話すべきです。自分の票や選挙組織としてネティズンを扱うことなく、彼らの意見を受け入れ政策を作り法案を構想すべきです。そうしてこそ市民達が進歩政党の背後の勢力となり、進歩政党は市民達が信じて頼れる存在になり得るはずです。



ロウソクはもはやシステムであり、ネットワークだ。

簡略に、私の立場を整理してみました。この中で私のようなブロガーが勤めるべきことは、しっかり'理由と回答を用意'するほうにあるでしょうね。どうかこの文章が'ロウソクは消して家に帰って寝よう'という話に聞こえないことを願います。私からして、そうする気はあまりありません。しかしより多い人々と共に歩む、そしてこれから未来を用意する計画を持たなければ、今の私達のすることにどんな意味があるでしょうか?

その上に、私はこれ以上、理由なしで街へ飛び出していく方々に同意しないことにします。私は喧嘩をするためロウソクを持ったわけではありません。彼らの一方通行を防ぐためにロウソクを持ち、間違った暴力を告発するためにカメラを持ち、出来ればより悪くはならない世の中を望むために街へと出かけます。しかしそのような理由もなく何であれ'とにかく街頭闘争'だけを話すなら…こう言い返しましょう。遊びに来ましたか~♪

私はこれを戦争や闘争だと呼びたくはありません。ただ、人が人らしく生きる道を探す、私が私らしく生きる道を探す旅だと呼びたいのです。もしかするとイミョンバク政権5年内では終わらないことかもしれません。私が死ぬまで見つけられない道かもしれません。しかし私達が歩く道が集まれば、その道で出会う人と楽しむことが出来れば、きっと、私達の後ろには道が出来ているはずです。

楽しく手を取り合えることを願います。
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by no_kirai | 2008-08-11 15:32 | ろうそく集会(デモ/文化祭)
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