ろうそく集会は大衆の冥想であり行動だ。権力に省察を要求すると同時に自己診断を遂行する提議的な集団儀式だ。従ってロウソクを媒介とする大衆が暴力を擁護したり暴力化することは容易くない。彼らが最初から立ち上がった時に話していた言葉が非暴力だ。初めて水大砲に撃たれたときも市民達は、温水と洗濯代を要求するだけだった。即刻、現場でこの愉快な風刺が生まれた瞬間、権力はすでに無力化していたと見るべきだ。水大砲なんかで彼らを家に帰らすことは出来なかった。市民運動もまた彼らを「指導」できないというのは一緒だった。支配権力と批判権力のどちらにとっても、これは少なからず困惑する事態だった。
集団事由を通じて行動主体となって動いた何人かの市民がその日連行されると、限りない匿名たちが自分達を捕まえてくれとお願いする事態が起こった。権力は早くもその威厳を喪失していた。言論不買運動に出た検察の恐ろしい警告への対応も同様だった。光化門を一気に港町に変えてしまったコンテナ防壁「明博山城」を積み上げると、市民達は珍しい様々な大衆文化行為を創造し出した。市民達にとってデモはただの政治行為ではなく遊びであり祭りだった。疎通を拒否した権力も街とインターネットで戯画化されることは避けられなかった。権力とは大衆が認めてこそ成立する抽象的実体である。笑いと嘲弄の対象となった政権が残したものは公権力という国家暴力だけだ。 その前衛の警察は、デモが終わってから壊れたバスなどを街にそのまま放置する展示演出などを繰り返した。警察が国家キュレーターにレベルアップしたというより、自ら広報委員になったと表現すべきだ。これは強硬鎮圧を正当化するための手順に過ぎなかった。設置美術はおろか、鎮圧方式に反対し警察庁の人権委員会が解散したことも知らんぶりだった彼らだ。1980年代の亡霊というべき自分達の野蛮は無視し、暴力の原因を探すといって市民活動家を手配しては続けて談話文を発表、光化門一帯を警察戒厳令の支配下に置いた。公安統治を通じて彼らが得ようとするものは、自由な意思表示と行動に対する封鎖である。 独裁時代、反人倫的な行為を行った筋肉の中に隠れた暴政と恐怖のマニュアルが復活することを目の当たりにすることは悲しい。大統領が言った骨に染みる反省は、市民の骨を折らす鎮圧で現れている。地下鉄無停車、総力対応、デモ主体と背後勢力の拘束、押収捜索、久しぶりに聞く言葉達が、今日が20年前のある日と変わらないことを表している。12歳の子供の連行、野党の国会議員に対する暴力、乳母車への消火器液発射、広告圧迫を行うネチズンに対する告訴のない取締りなどは人権と良心、民主主義と歴史の時計を巻き戻すときに聞こえる新しい破裂音である。青瓦台へ行こうという疎通不在に対する象徴的言語を確信に変えているのが暴力鎮圧だということを、政権の担当者達は知らないといけない。一方、これは以前の政権を弾劾しようとしたときに既に蒔かれた種という意味では原罪とも言える。 今の権力が最も恐れるものこそが非暴力だ。警察が政権の広報委員になってもいけないが、市民達がその広報の誘引に巻き込まれる必要は尚更ない。最も尊いときに、最も強い武器が手に入る。(ソ・ヘソン/アジアスタート委員長・小説家)
by no_kirai
| 2008-07-15 18:51
| ろうそく集会(デモ/文化祭)
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