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5.18光州ではない。68年フランスなのだ。

以下は2008年5月12日の書き込みです。


2008年5月、韓国の清渓広場で行われている蝋燭、仮面デモは「民乱」である。「革命」ではない。なぜか?一つ。今の学生たちのデモは大多数国民の「現場」支援を受けていないため「勢」が足りない。二つ、時代的な価値観や、体制を「覆す破壊力」が足りない。ただ米国産の牛肉の輸入をやめて、教育自律化を取り消しにすればすぐに止んでしまう類のデモ、すなわち「パン」を与えれば喜んで引き下がる無知な大衆のデモであるからだ。三つ、このデモに正当性を与える、それなりの体系的な思想や、既成の権威がない。いくら新しい勢力の登場だとしても、既存の勢力を「圧倒」できないなら、思想と権威の助けを受け認められる必要がある。しかしこの国の知識人にとっては清渓広場に集まった学生は「理解できない」か、「うかつに近寄ってレッテルを貼るには危険な」集団のようだ。今までのどんな談論も彼らをわかりやすく規定し、力を加えてやることは出来ずにいる。極少数のメディアだけが彼らを事実通りに描き、少壮学者だけが挑戦的に規定するだけで、公論化と体系化はなされることが出来ずにいる。










しかしこの三つの要素が充足されれば「民乱」は十分に「革命」となり得る。なのにこの国の左派ら、または思考力があると自負する人々はこの「民乱」を李明博政府の悪事、いわゆる「新公安政局」を打破しようとするものとし「5.18革命」に並べようとしている。これは「運動圏の子」の勘違いである。でなければ、自分達の同士、または潜在的な同士を説得したくても上げられる「アレゴリ(比喩)」がそれしかないのである。情けないったらない。このアホどもめ。2008年5月、韓国で繰り広げられる蝋燭-仮面「民乱」は1968年6月、ちょうど40年前にフランスで起きた「68革命」初期の学生デモが21世紀版となったものと見るのが正しい。

二つのデモは青少年の不満によってデモが発生し、これが一般人の支持で拡大したという点で似ている。68年フランス学生達のデモは「教育権」の保障要求から触発され、労働者と知識人の力を得て全国に拡散した。08年韓国学生達のデモはまだ初期段階だが、左派団体、そして一般から中道の市民達にまで波及している。そしてこの時期の青少年達は当時の大人達と違いすぎる知的背景を持つという点でも似ている。68年のフランス学生達は2次大戦以降の経済成長の中で、学習期間の延長(学制改編)と爆発的な文化的な恵みを受け精神的に「目覚めた状態」となった。08年の韓国学生達は世界で最も発達した情報通信インフラを活用して世界の殆ど全ての知識を「吸い込んで」いる。しかも他人の注入する情報に「隠された部分」があることを知りそれを積極的に見つけ出し類例のない速度で周辺にばら撒く。彼らにはまさしく「正直」だけが唯一の対処法である。

しかし違うところもある。フランスでは学習権利侵害に対する時勢少年のデモで革命が触発したが、韓国ではこの段階は「諦めさせられ」ており、もっとも危険な、生存権を脅かす段階、即ち「狂牛病問題」に来て学生達が行動に出たという点が違う。つまり李明博政府の「学習自律化措置」発表時にすぐ清渓広場に集まってこそ68年度のフランス学生達の精神的、行動的レベルに肩を並べることができるということだ。その格が劣っているのだ。

そしてフランスでは学生達のデモ(激発)に離村向都問題で苦しんでいた労働者達が参加し(「勢」の拡大)、知識人達も後に続き(当為性の付与及び、体系的な整理)ドゴール大統領を下野の手前まで追い詰めた。それに比べ韓国ではこのような動きは起き得ないかも知れない。韓国では労働者達、いや一般市民達が学生達の勢いを増させるには「ガキに何がわかる」から「生計の方が優先だ」などなど「保守化」または「新自由主義化」して前に出ない可能性が大きい。狂牛病問題が「生存」の問題なために辛うじて興味を持ってくれる程度だ。

しかも「動いた方がいいんじゃないか」とあたふたする左派、特に民主労総や民主労働党系の動きは一般市民達に「政治的な色合い」の拒否感があまりにも強く、むしろ学生デモに対する国民の関心と支持度を落とすことになる。たぶんデモを利用して極左の「勢力誇示」を行うことがせいぜいだ。従って学生達の真意を歪曲し、むしろ学生達が左派を拒否する事態が起こることとなる。私はこうなると100%確信する。つまり、今回の清渓広場のデモでは左派勢力が頭を突っ込むには芳しくない状況であり、市民達が自発的に参加し、「勢」を増させてくれることを祈るしかない。

そして名の知れた左派の知識人達がデモを行う学生達の実態を把握できず前に出ようとしていないことも問題である。パクナクチョン教授、キムジハ詩人、ほかには作家のイウェスなどの人々が率先し彼らを理解しようと試み、これを広く知らせるべきだが、それをしていない。これでは歴史は今回の清渓広場のデモを「学生達の不満、ストレス解消」程度に見下し見逃してしまう。

ならば、2008年のデモがagain 2002ではなく again1968になるためにこの国の「思考力があると自負する人々」は何をどうすべきか?まず学生達の実態を理解すべきだ。レーモン・アロンが1968革命を「類例がない」と言ったように、今の学生達もまた「類例」がない。彼らを4.19の時、5.18の時に石を投げていた若い頃の自分達だと思い込んではいけない。統制できないインターネットの「力」を携えた「新しい」勢力であることを尊重し、高く評価せねばならない。

次にあなたがたは「ガキ」から学ばねばならない。民主闘士のパラダイムでは今の現実を理解できない。そんなふうに接近しては、敗北してから自分のせいではなく「思考力のない子供達」のせいにするようになる。思考力がないのは子供達ではなく紛れもないあなただ。すでにあなたの時代は過ぎたからだ。そうするよりは囲碁のソボンス9段が子供だったイチャンホ9段から遊びを教えてもらったように、あなたの甥や姪、弟に見える学生達のありのままを観察し、あなたのどんな記憶も押し付けず、ただ黙々と真似し学んでみるといい。

「狂牛病」だけで青少年達が押し寄せてきたと見てもならない。すでに「学習自律化措置」で学生達の怒りは十分すぎるほど沸騰している。「狂牛病」は「生存の欲求」という最も根本的な意思を刺激し、それで「水が零れ落ちた」のだ。沸きあがり溢れ返った熱湯を拾い入れるためには素手で火傷を負うか、防熱手袋をはめるか、でなければ冷やすべきだが、政府の右派達は水が熱いと知らずに素手で拾い集めようとして既に大火傷をしているし、未だに熱さが分からない。全般的なデモの性格と実態が何かを知らないでいる。しかもその場しのぎの言い逃れがあまりにも多かったため最早政府と保守言論の言葉は誰も信じそうにない。ここで彼らが選べる手段は二つしかないが、一つは時間の流れによるデモの自然消滅を期待すること、または68革命の時そうであったように公権力を投入して中高生を連行することだ。大統領と国会を既に掌握したのに子供達に何ができるかと前者を選ぶにはこれからの5年はあまりにも長く、後者を選べば最悪の場合、李明博が大統領を下野するハメになるかもしれない。

それだけでなく既成の政党達と既成の左派達は青少年達の行動を「対政府攻撃用」とし自分達の味覚に合わせて解析しようとしている。そうすれば今回「利用された」学生達が次の選挙であなたがたに票を入れると思うか?見え透いた行動をうかつに取るな。「ガキ」達に余計な手出しをするなといっている。あなたがたのやるべきことは別にある。青少年の「実質的な」政治勢力化を助けるのだ。すでに彼らはインターネットにて政治勢力と化している。これを実際の政治に引き出すことはあなたがたの仕事だ。市都別の学生党員の組織構成を合法化し、彼らの声を国会に引き出すべきだ。これが21世紀に政党として生き残る唯一の方策となる。

今あなたがたが優先すべきは、もっと多い学生達を「全国の」清渓広場に導くことだ。勢を増やすべきだ。今の数字ではダメだ。「全国の学生達」がこの既成権威を不信しこのままではいけないと押し寄せて来なくてはならない。塾に行けと、勉強しろと阻止する権威にはこうやって対応せよ。修学能力試験のインターネット講師イボム氏が活発な政治活動をしているが、清渓広場で路上講義を行うことはどうか?勉強しに来る学生達を教師や家庭が阻むことは難しくないだろうか?毎日出来ないのなら全国区のスター講師達を組織して無料講演をやれ。今あなたが頑張るべき場所はソウル市教育監選挙ではなく清渓広場である。

ルモンド社説の指摘の通り、68革命は外見上、成功した革命ではなかった。ドゴールは事態を収拾し、次の議会選挙では右派が至上最大の議会議席を占有する「反動効果」を生んだ。まだフランス国民達は新しい考え方を受け入れることは難しく、暴力よりは安定を望んだ。シャルル・ド・ゴールというフランスのシンボルが指導者だったため、国民達は彼の統治力に依存することを選択した。だがそのデモに参加した学生達が社会の軸となり、尊敬されるフランスを作っていった。

しかし08年の韓国は違う。すでに大統領選挙と国会議員選挙が終わり彼らの支持度は25%程度に留まっている。「大統領を間違えた。このままではやっていけない」という情緒が拡大している。しかし市民達が保守化、新自由主義化した韓国社会で諦念している頃、「構うことのない」青少年達が街へと飛び出した。この「燃え種」をどうすれば薪を燃やす炎を起こせるだろうか。思考力のある大人達は清渓広場の青少年達、いや全国の全ての教室にいる青少年達を「理解し」、「学び」、「勢力として認め」、「勇気を注いであげる」べきだ。一瞬の感情に振り回されることなく整然な論理を携えるよう助けることも必要だ。

そうやって2008年5月の韓国青少年達のデモがフランス68革命の21世紀版になるよう、いや、それを超えられるようにしよう。2008年5月に「全国の」清渓広場に集まり蝋燭を手に持つ我らの兄弟、子供達が、5年後、10年後も今の記憶を胸に抱き一つの政治勢力をなし、私達の未来を導けるようにしよう。

(68革命についての書籍は接しておらず、私は去る5月4日のフランスルモンド社説に全的に依存している。この点、ご容赦願いたい。




以上は韓国のブログから5月12日に投稿された文章を転載しています。
by no_kirai | 2008-06-04 08:23 | ろうそく集会(デモ/文化祭)
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