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私は何故4大河川事業に反対しているのか?(1/2)

ソウル大学校経済学部教授イ・ジュング - 「私は何故4大江(4大河川)事業に反対しているのか」σ

1.はじめに

発行部数の多い日刊紙ばかり読み地上波放送ばかり見る人は、いったいどんな人々がなんの理由で4大河川事業に反対しているのか知る由がない。自らの口にくつわをはめたのか暗黙的談合があったのかしれないが、何故だか4大河川事業についてはいつも固く、口を閉ざしているからだ。世界的正論誌ニューヨークタイムズは「報道に適した全てのニュースを報道する(All the News That`s Fit to Print)というモットーを掲げている。しかし私たちの国の保守言論は、いつからか「私が望むニュースのみを報道する(Only the News That I Want to Print)」というモットーを採択したようだ。

そのため、わざわざ視線を転がしてよりバランスの取れた報道を接しようと努力でもしないかぎりは、彼らが望む方向で世の中を見るしかない。彼らによれば、いま私たちの社会で4大河川事業に反対している人は極めて少数に過ぎないという。ごく少数の政治的な知識人と、宗教人のみが反対しているのであり、言葉のない多数は4大河川事業への揺るぎない支持を送っているとのことだ。政府が反対する人々に対話を提案したが、彼らは一方的に拒否しているともいう。保守言論は、いま私たちにこのように自分たちの意のままに歪曲した真実を信じることを強いている。

しかし保守言論に洗脳された人であるとしても、世の中の動きと状況を見ていると、何か釈然としない点を発見することは必然である。彼らは大統領と政府が4大河川事業に反対する人に向けてきわどい発言を厭わない理由がなんなのか知りたがる。反対する少数の知識人、宗教人はただ無視してしまえば済むだろうに、わざわざ彼らに攻撃の刃を向ける理由ははたしてなんだろうか?






何事でも反対する人はいるものだが、そうやっていちいち気にする必要があるだろうか?たぶんこんな疑問が止まないはずだ。いくら真実を隠そうとしても、いつかは明らかになる日が訪れる。保守言論が個別の事案においては歪曲報道を行うとしても、絵の全体図を組み合わせると、真実が必ず姿を見せることになる。たとえば4大河川事業に反対する人々に対する大統領と政府の攻撃に関する記事を見て、人々は反対する勢力が決して一粒ではないことを想像することができる。保守言論がそれを報道した意図が4大河川事業のプッシュだったとしても、結果的にそれと関連する真実を世に知らしめることに繋がる。

保守言論がいくら隠そうとしても隠しきれない真実は、4大河川事業に反対する人々の勢力がとても無視できない水準まで及んでいるという事実だ。これまで私たちの社会で数多くの問題により運動集団が形成・解体を繰り返したが、今まで4大河川反対グループのように規模が大きい集団はたった一つも存在しなかった。民主主義の回復を切実に渇望したあの頃でも、今のように私たちの国の4大宗教集団が集まって声を一つにしたことはない。ある一つの社会的イシューに対し、幾千名に及ぶ大学教授が持続的に声を出した場合もまったくなかった。

今、私たちの社会には史上最初の大規模社会運動が繰り広げられているのだ。しかも、彼らは趣味のように一度集まってやめるつもりで作られた集団では決してない。私たちの国土全体の安危がかかっている深刻な問題を腕を組んで見ていられないという切羽詰まった心境で一丸となった集団だ。したがって、上手く口車に乗せて片付けるつもりでは決して解決しないのだ。彼らに4大河川事業を続けるべき明確な理由を納得させられないかぎり、反対意思を彼ら自ら撤回する可能性はまったくないといっても過言ではない。

大統領と政府は、彼らがなぜ4大河川事業に反対しているのか理解しようと努力するどころか、広報不足により実情をよく知りもしないで反対しているという弁で跳ね返している。疎通のない一方通行式国政運営が問題だと指摘しても聞く耳持たず、自分の言葉をもっとよく聞けと強いていることになる。さらには4大河川事業に反対する人々が、政治的目的から反対のための反対をしていると攻撃し、殲滅を図る。相手側の言い分は一言も聞こうとしない独善と我執に、呆気にとられるばかりだ。


4大河川事業反対グループの一員として、私は実情を知らないために反対しているという言葉にひどい侮辱感を感じる。この事業に経済的側面のみならず環境工学的、水文学的、生態学的側面が重要性を持っていることは事実であり、私がその方面の専門家でないことを否定はしない。だからといって私がなんの情報もなく無条件的な反対をしているわけでは決してない。今まで懸命に4大河川事業に関連する情報を収集してきており、それなりの判断を下すに充分すぎるほどの知識を蓄積している。

私の信頼する専門家らの見解によれば、4大河川事業は環境工学的、水文学的、生態学的な側面においてまったく役に立たないだけでなく、とても大きな危険性が伴う事業である。私は彼らが厳密な科学的根拠の上でそのような結論を下していることをよく知っている。これに比べ、今まで政府が4大河川事業が必要だという根拠として掲げたものたちを見ると、まったく信頼に値しない出鱈目の論理のみだった。しかも私が専門的知識を持っている経済学的観点から見れば、もはや滑稽といえるほど妥当性が欠如している事業だ。

政治的目的から反対のための反対をするという言葉は、さらに侮辱的に聞こえる。これまで私から学んだ数多くの弟子たちが証言してくれるだろうが、私は一生を政治と壁を作って生きてきた人だ。能力と努力不足により立派な業績を上げることは叶わなかったが、あちこちに首を突っ込むことなく、学者としての本分を守ってきたことについては一片の恥もない。これからも政治の場に足を踏み出す意思がまったくないことは言うまでもない。そんな私に政治的目的云々することは我慢ならない侮辱に聞こえる。ほかの教授、神父、牧師、和尚、教務たちに対しても、そんな言葉を口にするべきではないと考えている。

私は今、私の良心をすべて賭けて4大河川事業に反対している。一人の人間として、市民として、知識人として、そして経済学者として良心に照らし一片の恥もない行動だという確信を持っている。これまで私はあらゆる角度から、なぜ4大河川事業をしてはいけないのかについて多くの文章を書いて来た。実情を知らないから反対するという、政治的目的から反対するというとんでもない攻撃に反駁するため、私がなぜ4大河川事業に反対しているのかを改めてはっきり明かしておこうと思う。


2.4大河川事業は、時代錯誤的な「川殺し」だ

韓半島大運河事業の話が出た時、人々が一番注目したところは、その事業の時代錯誤性だった。飛行機で貨物を運搬する時代に、川の上に遅すぎる貨物船を置くことで物流革命を起こすという。韓半島を長く貫通する大運河を作ろうという考えは、普通なら海外の不思議ニュースに出そうな時代錯誤的発想だった。大統領選挙時に掲げた公約だから何があってもやり抜くと誓ったものの、国民の反応は冷淡そのものだった。就任半年足らずでその計画を取り下げるしかなかったことは一つの必然だった。

韓半島大運河計画を諦めるという発表が出て数か月後、唐突に登場した4大河川事業は、いたるところを緑色で飾ったまま、私たちの前に現れた。「緑色のニューディール」という実像と符合しないフレーズと一緒に現れたため、時代を先取りする性格の計画だと誤解させるには十分だった。しかし韓半島大運河事業を4大河川事業に「名称洗濯」したといって、工事の本質が変わったわけではなかった。土木工事の基本内容が、韓半島大運河の場合と同様に大々的な竣設といくつものダム(堰)建設であることを見ればよくわかることだ。

水をよく流れるようにするといって水の道をまっすぐにし、水を閉じ込めておくという目的で高いダムを建てることは治水の古いパラダイムだ。洪水防止という名目で高いセメント堤防を重ねることだけが得策ではないという点も、すでに古い昔に明かされた事実だ。川に対する人間の干渉がむしろ逆効果をもたらすため、自然の状態に戻すべきだという認識が拡散し始めたのも、またはるか昔の話である。周知のとおり、いま先進国では川の周辺に作っておいた人口構造物を撤去することが一種のトレンドとなっている。

4大河川事業が持つ時代錯誤性は外国専門家によっても正確に指摘されている。世界的科学ジャーナルのサイエンス(Science)誌は2010年3月26日「Restoration or Devastation」という題名で4大河川事業に関する特集記事を載せた。この記事にて地形学の権威者であるUCバークリー大学のカンドルフ(G. Mathias Kondolf)教授は、この事業の発想が時代錯誤的なものであると批判している。少し長いが、誤解の余地をなくすために一つの文節をそのまま引用してみるとする。

「より根本的に、ある学者たちはその計画【4大河川事業】が河川管理に関する時代に遅れた思考方式を反映していると信じる。『4大河川事業は先進国で河川管理方式が進化してきた道から外れている』とUCバークリー大学の地形学者カンドルフ教授は語る。彼はヨーロッパとアメリカで開発計画を立てる人々が、もはや川が曲がりくねって流れることのできる空間を提供することに力点を置くと話す。この接近方式が生態学的により健全であるだけでなく、竣設や堤防築造による河川管理作業を必要なくするということが彼の指摘だ。事業担当者ホン氏はこれに対し、韓国の河川についてに自分たちが研究して事例分析を行った結果によれば、ダムと竣設が最善の代案だと言い返した。

More fundamentally, some academics believe the plan reflected outdated thinking about watershed management. "The Four Rivers Project is out of step with the way river management is evolving in the developed world."
says G. Mathias Kondolf, a geomorphologist at the University of California, Berkeley. He says planners in Europe and the United States now aim to give rivers room to meander and flood. This approach is more ecologically sound, Kondolf says, and eliminates river maintenance imposed by dredging and embankments. Project official Hong counters that based on their research and case studies of rivers in South Korea, dams and dredging is the best solution.」

4大河川事業に反対する人々が話すなら、麹を豆で作ると言ったところで信じようとしないだろうが、外国の専門家が話すことは信じてみてもいいのではないだろうか?彼はダム築造と竣設が現在、先進国で河川を管理する方式と正反対の道を行く時代に遅れた接近方式だと明確に語っている。口先では先進国を見習おうと高らかに叫ぶ人々が、なぜ川に対しては先進国が進む道と正反対の道を行こうとしているのかわからない。自分が好きな時だけ先進国の例を引用する彼らの癖を知らないわけではないが、なんとも苦々しいことだ。

そしてこの記事に出たホン氏という人が誰を指しているか定かではないが、返答にしてはとても乏しい。たった数か月の短い期間の間、私たちの川についてどのような深い研究をし、事例研究をすることができただろうか?根拠の貧窮さを隠すための答えであることは自明である。最善の代案とは、数年の期間をかけて幾多の模型実験を経ても容易に見つからないものだ。私たちが今聞かされている4大河川事業の賛成論理は、このように貧窮で唐突な水準を越えていない。

川の水が自由に曲がりくねって流れるようにし、溢れかえるように放っておく河川管理の新たなパラダイムは、明確な科学的根拠に基礎している。これまでの研究を通じて、特別じゃないように見える川の底の砂と砂利が凄まじい水質浄化能力を持っていることが明かされた。莫大な量の汚染物質が川に流れ着いても、川の水がそれなりの清さを維持できる秘訣がここにあった。政府はそれをすべて竣設して川をきれいにするというが、実はこの自然浄水器を徹底的に壊そうとしているのだ。川の自浄機能を抹殺させて水質改善をするといい、とてつもない血税を注ぎこもうとする姿が、「病を与えて薬を与える」ということわざを思い出させる。

また、洪水予防の側面から見たときも、自然の川の流れに無闇に手をつけることは危険ないたずらである。これまで数多くの洪水を経験しながら、自然にはそれなりの防御装置が作られた。いくつかの適切な場所を土手で保管するだけで、自然そのままの川は立派な洪水防止能力を持ち合わせているのだ。最近、私たちが経験したほとんどの洪水被害が4大河川事業の工事対象ではない上流や支流で起きており、それすらも山林破壊や乱開発により発生した「人災」の性格を帯びていた。無謀な4大河川の「直江化」がどれほどの超大型人災をもたらすかは、歴史が証言してくれると信じている。

一言で言えば、4大河川事業は時代錯誤的な「川殺し」に過ぎない。自然そのままの川を生かしたまま、部分的な手入れを施すことが最善の代案であるにもかかわらず、大無築造と竣設という古い教理を適用して私たちの川をすべて殺そうとしているのだ。常識を持つ人として、私はこのような時代錯誤的な土木工事を決して了承できない。


3.生態系撹乱は危険な火遊びだ

「4大河川蘇生」という名前で偽装しているが、この工事の本質が「4大河川殺し」であることは動かしようのない真実である。川はありのままの命を持って、長い間進化し、今日日の姿を持つようになった。川辺の無意味に見える草むら、砂浜、沼だとしても数億年を間断なく流れた水の道により作られた一つの生命体だと見ることができる。それらが幾多の洪水と旱害を経て持つようになった今日日の姿は、自然の法則をその姿で表してくれている。

この自然のままの状態を保存することが重要な理由は、ただ審美的な側面にあるだけではない。自然のままの状態が美しいということは言うまでもないが、自然に無闇に手をつけてはいけないより重要で、より実質的な理由がある。それは元の状態のまま上手く保存された自然が、私たち人間にとって一番有益だという事実だ。つまり、実質的な利得の観点から見ても、自然のままの状態を保存するほうが望ましいということだ。たとえば水質浄化や洪水予防の側面でも(若干の保管を加えた)自然のままの川が一番良い代案になり得る。

政府が何を強弁しても4大河川事業に関連して一つはっきりしていることは、私たちの国土全体の生態系が全般的に覆されるほどに深刻な撹乱が起きるだろうという事実である。政府自らも、現在の状態から深刻な撹乱が起きるという真実は公然と否定しえないだろうと思う。青渓川と良才川の小さな成功にうかれている政府は、生態系撹乱の危険性をまったく顧みないで危険な賭けに載り出ている。腐っていた小さな水の流れをきれいにする仕事と、なんの問題もなかった4大河川の掘り返すことの間には、とてつもない違いがある。生態系に対する無知のせいで、4大河川を青渓川と良才川のようにすることが、どれだけ危険な火遊びなのか知らないだけだ。

最近、蟾津江にしか住まないカワムツが唐突に青渓川で見つかり、私たちを驚愕させた。青渓川管理当局が放逐したという確証は取られていないが、とにかく青渓川の生態環境がめちゃくちゃに壊れていることを確実に見せてくれる例の一つだと言える。きれいな水が流れ始め、棲息する魚の数の種類が大幅に増えたという宣伝も偽りであったことが知らされた。問題は、いま政府が全国土の川に青渓川のケースを当てはめようとしているということにある。

青渓川の例を見れば、4大河川事業がすべて終わってから川の周辺の生態系がより豊かになるだろうという政府の豪語がどこから出てくるのか見当がつく。あちこちから魚を取ってきて4大河川の好きなところに放逐するという目論見のようだが、漢江にしか住まない魚が榮山江で見つかるようなことを頻繁に見ることになるだろう。そうしておいて、川の水がきれいになって棲息魚種がより豊かになったと偽りの広報をしまくるに違いない。私たちの国の大きな川が、固有の生態性を完全に喪失し、超大型の水槽や水族館に変化するというわけだが、そうなれば生物学の教科書を書き換えるべきことになりかねない。これがどれほど夥しいことなのかを知らぬ無神経の所有者たちが、いま私たちの国を治めている。

生態系の撹乱はその帰結を正確に予測できないため、特に危険だと言える。全国の4大河川をすべて掘り返した後、私たちの国土ぜんぱんにかけて、はたしてどれほどの変化が起きるか、誰も正確な予測はできない。気候がどう変化するか、地下水の水位がどう変化するか、もしくはどんな動植物の種が消え、どんな種が新たに現れるかについてまったく予断できない状態だ。最近の言論報道を見れば、セマングム事業の影響により近辺の邊山海水浴場の砂が数メートルの深さで穴が空く現象が現れたという。セマングム事業が始まる前はもちろん、工事が進められていた過程において、誰も予想できなかった結果である。全国土にかけて、このような予期だにしなかった結果が続々と現れるなら、どれだけ当惑することになるかを想像してみてほしい。

4大河川事業で全国土の生態系が奇怪な形に乱れれば、元どおりに回復させたくても難しいため、心配はより大きい。根っこごと抜かれた木々と草が再び茂るには数十年の歳月を要するだろう。川の底の砂をすべて掻きだしたため産卵の場を失った魚が再び群れをなして行き来するほどに数を増やすには、より長い時間を要するかもしれない。しかもブルドーザーとポークレーンで潰された砂浜と沼地は永遠に生き返らせられない可能性が高い。目前の利得に目がくらみ、このような危険なことを犯すと言うことが、とても信じられない。

4.正当な切磋が無視された、反民主的事業である

一般の人々はよく知らないでいるが、いま4大河川事業に関連して私たちの民主主義は重大な試練に直面している。この事業がそのまま強行されるか、それとも中断されるかによって、民主主義的原則が崩れるかもしれないし、そのまま守られるかもしれない。国民の意思とは関係なく個人的な信念一つによって強行されている4大河川事業は明白な反民主性を持っている。これを防げないとすれば、苦労の末に手に入れたこの地の民主主義は、再びゴミ箱に投げ捨てられる境遇から脱しえないだろう。

ご存知の通り、4大河川事業はたった数ヶ月間の密室作業によって粗造りされた土木工事である。無理に推進した末に挫折した韓半島大運河事業と違い、4大河川事業は大統領選挙公約にも含まれていなかったものが、ある日突然私たちの前にその正体を現わした。それから、これといった公論過程も経ないで、執権与党が絶対多数議席を埋めている国会で関連法案を急ぎ足で通過させることにより、動かしようのない現実になってしまった。そんなふうにごく簡単に仕事をすませてしまったために、その事業をするという言葉が出たとたんに作業が始まり、全国の川は回復が難しいほど壊れてしまった。

政府はすべての切磋を守り工事に着手したと強弁する。しかし形式上の切磋は守ったとしても、常識の線から見れば決して正当な切磋が守られたと言えない。たとえば、たった数ヶ月間の短いの期間中に、そのような超大型土木工事の環境影響評価を終えたということは、とても納得しがたいことだ。単純な土木事業も数か月で終わらすことは困難だというのに、全国にかけての生態系に地殻変動に近い影響を及ぼす事業の評価をたったの数か月で終えたということで、不実評価だったことは検証以前の問題であった。

22兆ウォンもかかる超大型土木事業なのに、ほとんどすべての費用支出が予備妥当性調査から除外されるということも、とても納得できない。政府は「国家財政法施行令13条により堰の設置、河川竣設などの事業は災害予防事業であるため、予備妥当性調査の対象ではない」と弁明する。貧窮すぎる弁明だが、「耳にかければ耳飾り、鼻にかければ鼻飾り」とはまさにこのような便宜主義的行政に対して言う言葉だ。形式的に法の規定を守ったからといって、切磋の正当性が保障されるわけでは決してない。

これといった世論収斂の過程がなく、大統領の支持一つだけで事業計画を練り始めたと言うことからして、民主主義の原則に外れる。みんながよく覚えていると思うが、4大河川事業という言葉が最初出てきたとき、まともな討論会一つ開かれたことがない。すべての保守言論は約束でもしたかのように口をつぐんでいたため、ほとんどの人々は事業そのものに対する情報すら持てないでいる状態だった。国民をここまで無知の状態に追い込んだ状態で一方的に推進した事業に正当性を与えるなど、難儀して当たり前である。

4大河川事業を推進する過程で明確に浮かんできたことだが、現在、私たちの国の政治構図では牽制と均衡という民主主義原則が徹底的に破壊されている。立法部と司法部の牽制で行政部の独走を止め、健全な均衡を成し遂げるべきという原則は、挙手機の役割に忠実な巨大与党が国会を掌握したことにより紙くずと化してしまった。司法部がごくたまに牽制の役割を遂行しているが、そのたび政府と保守言論の集中砲火を受けぐらつく。(訳注:左翼の法官が司法部を牛耳っている!とか)その司法部の牽制すらも、ごく微々たる事案に関してのみ行われているだけで、国家運営の基本枠に関する部分ではほとんどなされていない状況である。

実のところ牽制と均衡は行政部内からもたらされることが望ましい。各部処の性格によってこのような牽制と均衡がなされてこそ、合理的な政策遂行が可能になるからだ。4大河川事業の主務部署が国土海洋部だからといって、他部署が一切の関心を持たず傍観ばかりすることは望ましくない。もしこの事業の波及が国民の生に影響を及ぼし、それが自分の部署の関心分野であるなら、第3の部署だとしてもその事業に関与し、牽制の機能を遂行すべきだ。

たとえば環境部の立場から見て、4大河川事業が環境に悪影響を及ぼす可能性があると判断するなら、これに対する警報を発令し生の質が落ちることを防ぐべきだ。これこそが環境部の存在理由という事実に疑問があるはずもない。しかし4大河川事業と関連して環境部はその存在の理由を忘却し、挙手機に転落する道を自ら選んでしまった。環境に対する危険要因を発見し対比策を促すべき環境部が、むしろ万歳を呼んでくれている滑稽なことが起きている。世界のどの国に行ってみてもこのような事例は見つけ難いはずだが、私が払う税金が、なぜこのような部署の維持のために使われなければならないか、とても納得できない。

さらには、民主主義的原則がしっかり具現されるには、第4部といえる言論が本来の役割を果たすべきだ。しかし私たちの国の代表的日刊紙3個社と地上波3個放送局の態度を見ればため息が出るばかりだ。私が彼らに、4大河川事業の反対闘争に取り組むことを望んでいるわけでは決してない。私も現実をそれなりに知っている。そのようなとんでもない期待をするはずもない。私が望むことは、最小限の客観的な事実だけでも正確に報道してくれるべきだということだ。しかし彼らは重要な事件すらも報道しないことで、世論の歪曲に取り組んでいる。

以前まで、カトリック教団が主教会議という公式機構の決議を通じて社会的懸案問題について声を出すようなことはなかった。5千余名にも及ぶカトリック聖職者たちが署名し、自分の意見を明確に明かすことも前例のないことだ。たぶん朝鮮時代にキリスト教が伝播して以来、初めて見る重大な事件ではないかと思う。それだけでなく、2千名以上の禪房の修道僧たちが社会的イシューに対して集団的に声を出す事例も、初めて見ることだ。山寺にて修行に精進しているべき修道僧が社会的イシューに声を出すことからして珍しいことだが、その数が2千名に及ぶということはさらに驚嘆に値する。

にもかかわらず、保守言論はこの重要な事件をほとんどすべて無視してしまった。たった1行の記事も載せない場合がほとんどであり、たとえ記事を載せるとしても、つまらない障害事件よりも小さい比重で取り扱うことが落ちである。その結果、ほとんどの国民は、誰がなんの理由で4大河川事業に反対するのかすら知らないでいる。このように言論まで積極的な協調者に転落してしまった状況で、政府の一方通公式国政運営を牽制する方法は一つも残っていない。いま私たちの社会で民主主義原則が深刻な脅威に直面していると感じる人が多いことは、決しておかしいことではない。

現在、国民の半分以上が4大河川事業に反対しているということは、政府自らもよく知っていることであろう。そのうえ国民の尊敬と信頼を受けている主要宗教指導者たちが、ほとんど全員、反対隊列に参加している。こんな状況にもかかわらず4大河川事業の強行に固執することは、国民の意見に耳を貸さず独善的に国を率いれていくという意味になる。国民の輿論を無視し事業を強行しようとする政府により、私たちの社会の民主主義は重大な挑戦に直面している。

民主主義を信奉する一人の市民として、私はこの非民主的な4大河川事業を決して了承できない。

私は何故4大河川事業に反対しているのか?(2/2)
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by no_kirai | 2010-06-02 16:25
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