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パクジェヨン氏インタビューから抜粋

ろうそく判事だとされ保守勢力の標的となったパクジェヨン弁護士インタビュー

(前略)'キャンドル判事'とされ保守勢力の標的となり、去年の2月、法服を脱いだ彼は柔らかくも優しかった。過激どころかあくびが出るほど穏やかで慎重だった。いろいろ悔しい思いをしただろうと思われるが、怒ったりも誰かを責めたりもしなかった。そうすることが自分を守ることだと言わんばかりに。(中略)

―判事と弁護士の仕事はどう違いますか。

「志向する価値が異なります。判事への評価の基準は正義と人権、法にどれほど符合しているか、記録をどれほど緻密に読み解くか、つまり真実への情熱だといえます。これに比べ弁護士の価値とは、事件をどれだけ依頼人の望む形に導いていけるかにあります。」

―依頼された事件で勝つべきだとうい負担もありそうです。

「当然あるにはありますが…、事件に誠実に接近し、また裁判部に誠実に伝えれば自ずと良い結論にたどりつきます。」

(中略)

―ろうそく集会に関連するアンジンゴル氏の裁判で、'個人的に法服を着ていなかったなら、子供を育てる父の立場から…'と言ったため保守言論の標的となりました。後日、その発言を後悔したりはしませんでしたか。

「私は裁判の命は当事者たちからの信頼にあると考えてきましたし、その信頼は当事者たちとの滞りない意思疎通からもたされると信じていました。法官として生活する間、ずっとそのための努力を傾けています。当時の裁判でも、被告人であるアンジンゴル氏の心境を理解するための努力を、別の事件のときと同程度に傾けたまでです。決してそれ以上でも以下でもありませんでした。個人的には、家の末っ子が牛肉をとてもよく食べるので、私も憂慮したかもしれない、そのようにも考えましたね。もし右翼団体の会員が私の事件が被告人になったとしても同様に、その被告人が事件を起こす当時の心境を深く理解するために努力したでしょう。そのとき交わした会話を後悔したことはありません。同じ状況がまた訪れても同じようにするでしょうから。」





―夜間屋外集会を禁じた集示法条項について違憲法律審判を提請したため、保守勢力の攻撃がより激しくなりました。法服を脱いだあと、憲法裁判所がこの条項について憲法不合致決定を下しましたが、どう思われましたか。

「憲法裁判官たちのように、憲法が保障する価値を守るために努力したもっとも保守的な私に、なぜ一部の聖辞人と言論社たちが'進歩'だと呼ぶのかという疑問が頭をかすめましたね。そしてなぜ一部の政治人と言論は、保守という'美しい価値'を自分たちの利益に当てはめて人々に'保守=窮屈で醜いもの'だと感じさせるのか、という疑問も浮かびました。」

―集示法違憲提請以降、シンヨンチョル当時ソウル中央地方法院長が刑事単独判事たちにeメールなどを送り裁判に干渉した事実が明らかになりました。このことで苦労されたパク弁護士は法院を去りましたが、シン大法官は相変わらず法院に残っています。

「当時あの方に得体のしれない圧力が加えられたようですが、あの方がその圧力を自分なりの方法で切り抜けたのだろうと考えます。私もまた私に迫った圧力を、私なりの方法で切り抜けたのです。個人的にはシン大法官のために気を悪くしたことはありません。」

―最近、法院がMBC無罪判決、ガンギガップ代表無罪判決、ヨンサン惨事捜査記録公開決定など、一連の転向的な判決と決定を下しましたが。

「該当事件に関して私が詳しく知っているわけではありませんが、法院は少なくとも文民政府時代以降は原則と正道を歩んできましたし、左にも右にも偏っていないと思います。ただ、立ちつくしている法院を正面から見ていた人々が、左へ行けば法院が右に立っているように見えて、右へ行けば法院が左に立っているように見えることはありえます。ですが法院は憲法と法律が命ずる価値を守るためにこれまで黙々と働いてきましたし、これからもそうであるはずです。」

―'最近の若い法官'たちに色論σのレッテルを貼る者たちがいます。若い法官とはどんな人々でしょうか。

「若い法官だけでなくすべての法官は合理的で理性的です。自分の見解と完全に反対の相手の頑固な見解を聞いても興奮したり怒ったりはしません。法院内でも同様です。外で騒がれているように法院は混沌としておらず、見解が異なる方々がお互い足りない部分を補っています。それで進歩的政治勢力や言論が進歩的判決を要求したところを原則のまま判決することで'守旧の石頭'だと悪口されることも耐え抜きますし、保守的政治勢力や言論が保守的判決を要求したところを、やはり原則のまま判決することで左派だのアカだのという幼稚な非難を聞き流したりもするのです。ただし、若い法官にはベテランに比べて二つの特徴があります。まず、法院内の昇進というものから(高位法官に比べて)いささか自由でいられますし、人事権者の顔色をうかがう必要はそんなにない。また、画一化したシステムで育ったなら恐れを持っているかもしれませんが、社会に対する開かれた視覚を持ち、多様性を人生で体感しながら育った世代です。自由さに対する恐れがありません。自由さから勇気と創造性も生まれるのですし。」

―最近、カンギガップ代表に無罪を宣告した判事などに対しては身の安全が脅かされましたが。

「根本的に人々の心が狭いから起きることです。政治人たちが心を広く持てば、民も従うはずなのですが…。実は判事たちはそのようなことがあれば逆にエネルギーが湧きます。私もそうでした。私が(保守言論の標的となり)苦しいときに心配してくれる人が多かったのですが、たいして葛藤したり心配したりはしませんでした。どうせ進むべき道は一つです。ただし両親に対しては気を遣いました。私のためにあらぬ誤解を受ける人がいるのではないか、司法部に迷惑がかけられないだろうか…ということは考えました。」(後略)

*いまならこれを訳すより、死刑制合憲判決(5名が合憲、違憲が4名で、違憲には6名必要なので2名足りない)に関する記事を訳すべきだった気がしますが、そろそろ出かけないとry
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by no_kirai | 2010-02-25 20:37
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